本章はひどく雑多である。ロジバンテキストの構造を規定するシマヴォを、大きいもの(段落)から小さいもの(単語)まで紹介する。ここで紹介する言語のしくみは、会話や長い文書で一般には用いられるため、例文は他の章より少ない。
また、本章は自己完結的でもない。他の章でしか完全に説明されていない概念を数多く参照する。そうしなければ、他の全ての章をひとまとめにしたのと同じぐらい複雑な、テキストの構造に関する章になってしまうだろう。ロジバンは統合された言語であり、言語のそれぞれの部分を(ある程度)理解することなしに、言語の一部分を(完全に)理解することはできない。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
.i I 文区切り
ロジバンは音声形と書記形が同形であるので、文区切りを表す方法が、話し言葉および書き言葉の両者において必要である。英語の書き言葉では、句点(ピリオド)がこの役割を果たす。話し言葉では、イントネーション(上昇もしくは下降)や、長い休止が使われる。ロジバンでは、区切りとして シマヴォ “.i” (セルマホ I) が使われる。
2.1) mi klama le zarci .i do cadzu le bisli 私 行く 店へ。 あなた 歩く 氷の上を
“.i”は「区切り」であるため、 最後の文の後や最初の文の前には通常使われない(使っても文法的ではある) “.i” は同じ話題に関する新たな文の始まりを表すが、同じ話者とは限らない。 文の間の関係は不定である(物語の場合は、時系列関係であり、後の文が前の文の後に起こったことであると想定される)
英語の文の最初の文字は大文字で書くが、シマヴォ“.i”は大文字で書かれることはない。書く場合、“.i”の前に空白を余分に置き、読者が分かりやすいようにするのが親切だ。“.i”をすべて行頭に置き、前の行の最後に空白を残しておくという書き方のスタイルもある。
次の文の話者が前の文の話者と異なる場合は、文どうしが関連があるかどうかに応じて、“.i”を使っても使わなくても良い。(訳注:英語の "And " や日本語の "で、"などから文を始めるニュアンスと同じか。)
シマヴォ “.i”は、論理・非論理接続詞 (jek や joik)、法制・間製、もしくはその両方と複合シマヴォを形成することもできる。これらの構成は、9章、10章、14章で説明する。どの場合でも、“.i”は複合シマヴォの最初に来る。心態詞が文全体にかかる場合は、“.i”に添加することができる(13章を参照)。
密接に関連した文の列を作る方法が2組用意されている。“.i”(接続詞があっても無くても)の後に“bo” (セルマホ BO)が続くと、区切られている2文は、単に “.i” で接続されている2文よりも密な群であると理解される。
同様に、文の群を“tu'e” (セルマホ TUhE) と “tu'u” (セルマホ TUhU)で囲み、ひとつの単位にできる。 “tu'e ... tu'u”の一般的な使い方は、詩を構成する文をまとまることである。タイトルの文がその群の前に置かれ、“.i”で区切られる。 他には、 手順書(訳注:レシピや組み立て説明書など)にも使えるであろう。 この場合、それぞれ順序の書かれた「手順」が “tu'e ... tu'u” で囲まれ、“.i”で区切られた複数の文を含む。“tu'e” と “tu'u” で文をまとめるのは、“ke” と “ke'e”を使い論理・非論理接続詞の係る範囲を明確にするのと似ている。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
ni'o NIhO 新し話題 no'i NIhO 古い話題 da'o DAhO シマヴォ割り当ての取り消し
段落はとは、話題の変化を表すのと、長いテキストを読みやすく分割すると いう2つの目的のために書き言葉で使われる概念である。 前者の目的は、ロジバンでは “ni'o” と “no'i” (どちらもセルマホ NIhO)が担う。 このうち、“ni'o”のほうがより多く使われる。 慣例では、ロジバンの書き言葉では、“ni'o” や “no'i”の前で段落に分けられるが、 同一の話題に関する非常に長い文章も、“.i”の前で段落に分けられることがある。 一方、英語の会話文では、新しい話者が話し始めた時に新しい段落が始まるのが慣例であるが、 これはロジバンの会話ではあまり見られない。 もちろん、これらの慣例は意味には全く影響しない。
“ni'o”は、“.i”の代わりに文区切りとして使え、新しい話題や段落の始まりを表す。文法的には、“ni'o”はいくつでも繋げて使え、単一の“ni'o”と同じであるが、意味的には、“ni'o”を多く繋げるほど、話題の変化が大きいことを表す。これによって、大話題、中話題、小話題などがある複雑な構造のテキストを、明確に曖昧性なく、ロジバンの話し言葉および書き言葉として表現できる。しかし、書き言葉と会話では、“ni'o”に若干の習慣的な違いがある。
書き言葉では、単一の“ni'o”は単に新しい話題を示す談話指標であるが、“ni'oni'o” は文脈的な変化を表す。この状況では、“ni'oni'o”はセルマホ KOhA の代スムティと、セルマホGOhA の代ブリディの定義を全て暗黙的に取り消す。(明示的に取り消すには、セルマホ DAhO のシマヴォ“da'o”を使う。これは談話系の自由な文法に従い、ほぼどこにでも置くことができる )“ni'oni'o”を使っても、セルマホ UI の心態詞や間制参照には影響しないが、大幅な話題の変化を表す “ni'oni'oni'o” を使うと、心態詞と間制の両方がリセットされる (心態詞のスコープに関する議論は8節を参照のこと)
話し言葉は、本質的にあまり構造化されていないため、このレベルは1段階、すなわち単一の“ni'o”のみとなり、これが文脈の変化を表し、代スムティと代ブリディの代入を取り消す。一方、本や、『千夜一夜物語』のように物語の中に物語が入っている場合では、“ni'o”を必要に応じてさらに伸ばしてより多くのレベルを表現できる。通常、書かれたテキストは、そのテキストの中での最も大きいレベルの分割に必要な数だけ、シマヴォ“ni'o”を繰り返したものから始まる。“ni'o”文字列は、添字を付けて談話のそれぞれの文脈を表すことができる(6節参照)
“no'i”の効果は“ni'o”に似ているが、以前の話題を再開することを表す。話し言葉では、「話を元に戻すと...」のような自然言語の談話句に対応する(ロジバンではもっと短いが)。デフォルトでは、再開された話題は実際には最後の“ni'o”の前のものである。話題の中に小話題が入れ子になっている場合、“no'i”は前の小話題を再開し、“no'ino'i”は前のより大きい話題を再開する。“no'i”は、 “ni'o”で取り消された前の間制や代スムティ代入も再開することに注意しよう。
“ni'o”に添字が付いた場合、同じ添字を持つ“no'i”が続いているものとして考える。“no'i”には負の添字を付けることもでき、その場合は段落をその数だけさかのぼり、そこの話題が再開される。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
zo'u ZOhU 話題/記述区切り
通常のロジバン文は単なるブリディであり、主語と述語を持つ通常の自然言語の文と対応する:
4.1) mi klama le zarci 私は市場へ行く。中国語では、通常の文の形が異なっている。話題がまず延べられ、続いてその話題に対する記述が続く。(日本語にも話題の概念はあるが、日本語では接尾辞(訳注:助詞「は」)を付けることによって示す。他にも、様々な方法によって話題を明示する言語がある)。話題とは、その文が何に関するものか、ということを表す:
4.2) 这 消息 我 知道 了 zhe4 xiao1xi1 wo3 zhi1dao le このニュース 私 知っている [完了] このニュースに関しては、私は知っていた。 このニュースはもう聞いたことがある。
(訳注:この文での「了」の使い方は正確ではない。この文は、例えば誰かから新しいニュースを何度も聞かされて「もうそのニュースについては分かったから!」というニュアンスが正しい。「このニュースはもう聞いたことがある。」と言いたいなら、「这消息我听说过」「这消息我已经知道」と言うべきである。)
例 4.2の最初の3行中に広いスペースは、話題(「このニュース」)と記述(「私は知っている」)を分けている。
ロジバンでは、シマヴォ “zo'u” (セルマホ ZOhU) を、話題 (スムティ) とコメント (ブリディ)を分割するために使う:
4.3) le nuzba zo'u mi ba'o djuno このニュース : 私 [完了] 知っている.例 4.3は、例 4.2をロジバンに直訳したものだ。もちろんこの話題/記述構造は、通常のブリディ構造に変換することができる:
4.4) mi ba'o djuno le nuzba 私 [完了] 知っている そのニュース例 4.4 は、例 4.3と同じ意味であり、より単純である。しかし、記述のセルブリの持つ場所構造中での話題の位置は曖昧である:
4.5) le finpe zo'u citka 魚 : 食べるここで魚は食べているのか食べられているのか、文からは分からない。例 4.5の中国語版は:
4.6) 鱼 吃 yu2 chi1 魚 食べるとなり、同様に曖昧である。
文法的には、2つ以上のスムティが “zo'u” の前にあっても良い。これは話題/記述文では役に立たないが、“zo'u”のもう一つの用法、つまり量化変数を含むブリディを量化セクションから分ける用法には必要である。この用法は、ロジバンにおける量化論理の議論になるが( 16章を参照)、例は以下のようになる:
4.7) roda poi prenu ku'o su'ode zo'u de patfu da 全てのX ~である 人、Y が存在する: Y は X の父親 全ての人には、父親が存在する。“zo'u” の前の文字列 (「冠頭」と呼ばれる。16 章参照) は、話題と束縛変数の両方を含んでいても良い:
4.8) loi patfu roda poi prenu ku'o su'ode zo'u de patfu da ~の群 父親 全ての X ~である 人、 Y が存在する: Y は X の父親 父親は、全ての人に対して存在する。2文以上に影響を与える話題を指定する時には、文を“tu'e ... tu'u”の括弧で囲み、その直前に話題と“zo'u”を置く。話題が直接文にくっつくという規則の例外である:
4.9) loi jdini zo'u tu'e do ponse .inaja do djica [tu'u] ~の群 お金 : ( あなた 所有する ならば あなた 欲しい ) お金とは、持っていれば欲しくなるものである。注意:ロジバンでは、「お金が欲しい」と言うのではなく「お金を持ちたい」と言う。“djica”の x2 の場所には出来事が必要だからだ。そのため、 例 4.8の話題無し版は、
4.10) do ponse loi jdini .inaja do djica ri あなた 持つ お金 ~ならば あなた 欲しい その存在がではない。ここでは、“ri” は “loi jdini” を指し、「お金の単なる存在」を表す。よって正しくは
4.11) do ponse loi jdini .inaja do djica tu'a ri あなた 持つ お金 ~ならば あなた 欲しい それについて何か それとなり、「それについての何か」とはすなわち「お金の所有」である。 例 4.9のような話題/記述文は本質的にあいまいであり、“ponse” (x2 に物理的な物体が来る) と “djica” との違いは無視されてしまう。他の話題/記述文の例としては 例 9.3 を参照のこと。
英語文の主語が同時に話題であることも多いが、ロジバンではスムティの x1 の場所は、特に転換されていない通常の x1 の場所は話題であるとは限らない。よって、ロジバンの文は英語での意味における「主語」とは限らない
本節では、以下のシマヴォを扱う:
xu UI 真偽質問 ma KOhA スムティ質問 mo GOhA ブリディ質問 xo PA 数質問 ji A スムティ接続質問 ge'i GA 前置接続質問 gi'i GIhA ブリディ末端接続質問 gu'i GUhA タンル前置接続質問 je'i JA タンル接続質問 pei UI 心態詞質問 fi'a FA 場所構造質問 cu'e CUhE 間制/法制質問 pau UI 質問マーカー
ロジバンの質問は英語のものとは似ても似つかない。真偽質問(...というのは真か)と「空白を埋めよ」質問の2つの基本的なタイプがある。真偽質問は、シマヴォ “xu” (セルマホ UI)をブリディの前もしくは具体的に聞いている部分の後に付けて作る:
5.1) xu do klama le zarci [真偽?] あなた 行く ~へ 市場 市場に行く(行った)のですか?(ロジバンに時制は無いため、どの訳も正しい。) 真偽質問については 15章 でさらに議論している。
空白を埋める質問では、質問者にとって不明で答えを知りたいロジバン語句を表すシマヴォを使う。様々な空白を表す様々なセルマホを持つシマヴォがある。
スムティが不明なとき、代スムティの一種である “ma” (セルマホ KOhA) を使って質問を作る:
5.2) ma klama le zarci [何のスムティ?] 行く ~へ 市場 誰が市場へ行くのですか。もちろん、“ma” は x1 の場所である必要はない:
5.3) do klama ma あなた 行く [何のスムティ?] どこに行くのですか。これに対しては、単にスムティで答えれば良い。
5.4) le zarci 市場です。この場合、単一のスムティは正しい返答であるが、それ自体はブリディを構成しない。つまり、何も表明せず、前の空白つきのブリディを単に補完する役割を果たす。
1文に2個(以上)の “ma” が含まれていても良い:
5.5) ma klama ma 誰がどこに行くのですか。答えは2つのスムティとなり、2つの“ma”シマヴォを順に埋める:
5.6) mi le zarci 私が、市場へ。
「それぞれ」を意味する非論理接続詞の“fa'u” (セルマホ JOI) を使うと、より複雑な例を作ることができる:
5.7) ma fa'u ma klama ma fa'u ma 誰 と 誰 が、それぞれ どこ と どこに行くのですか。答えは、
5.8) la djan. la marcas. le zarci le briju ジョン、マーシャ、市場、オフィス。 ジョンとマーシャは、それぞれ、市場とオフィスに行く。のようなもにになるだろう。 (注:例 5.8を機械的に例 5.7に代入すると、非文法的になる。“* ... le zarci fa'u le briju”は、“le zarci”を終端詞 “ku” で閉じなければならないため文法的なロジバンではない( 14章において説明)。このことは重要ではない。ロジバンでは、質問文に答えを代入する時に、省略された終端詞が全て補われていると見なされる。質問と答えが両方文法的であれば、それを代入したものも文法的となる。)
セルブリで答える質問は、代ブリディの一種であるセルマホ GOhA の“mo”で表される。
5.9) la lojban. mo ロジバン [何のセルブリ] ロジバンとは何ですか?ここでは、ロジバンに関して真となる何らかのセルブリを答える。答えとなりうる述語の可能性は非常に多岐に及ぶため、このような質問は極めて自由回答的である。 答えは、単一のセルブリかもしれないし、完全なブリディの可能性もある。その場合、答えのスムティは質問中のスムティを上書きする。“mo”のこの自由度を制限するには、タンルの一部にすると良い。(訳注:la lojban. mo bangu 「ロジバンはどのような言語ですか」など)
数に関する質問は、セルマホ PA の “xo”を使って表される。
5.10) do viska xo prenu あなた 見る [何の数字?] 人 何人の人を見たのですか。答えは、ここでもまた、非ブリディ型発話である、単一の数字となる:
5.11) vomu 45。
空欄を埋める型の質問は、他にも、
質問は、“pau”(セルマホ UI)を質問ブリディの前に付けることで、明示することもできる。詳細については13章を参照のこと。
以下は、質問に対する答えとして適切な非ブリディ発話の完全なリストである:
答えとして求められているところ以外でも、これらのほとんどは文法的とされている。これは、人々は会話でこのような発話をよくするため、単に曖昧だからといって除外することはない、という実用的な理由による。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
xi XI 添字シマヴォ “xi” (セルマホ XI)は、添字(数字やレルフ、もしくは括弧で囲ったメクソ)を表す。 添字は、ほとんど全ての文法構造に付属させることができ、その構造のすぐ後(もしくは文法的に必要な終端詞の後)に置く。有限のシマヴォのリストを無限に拡張したり、通常のシマヴォのリストをさらに細かく区別する場合に使うことができる。本節では、添字が自然と使われるいくつかの場所について言及する。
ロジバンのギスムは、最大で5個の場所しか持たない:
6.1) mi cu klama le zarci le zdani le dargu le karce 私 行く 市場へ 家から 道を通って 車でそのため、セルマホ SE (セルブリに作用して場所の順番を変える)やセルマホ FA(各スムティに対して、場所の番号を示す)は、5個の場所を扱うのに十分なだけしか存在しない。x1 と x5 を入れ替える “xe”を使い、例6.1 を転換すると、
6.2) le karce cu xe klama le zarci le zdani le dargu mi 車は 行く手段 市場へ 家から 道を通って 私がとなり、場所構造を並び替えると、
6.3) fo le dargu fi le zdani fa mi fe le zarci fu le karce cu klama 道を通って、家から、私が、市場へ、車で、行く。となる。 例6.1から例6.3は全て同じ意味である。しかし、抽象詞 “nu” を “klama” に適用した ルジヴォ “nunkla” を考えてみよう:
6.4) la'edi'u cu nunkla mi le zarci le zdani le dargu le karce 直前の文の内容 行くこと 私が 市場へ 家から 道を通って 車で例 6.4は、“nunkla” には6つの場所(“klama” の5つと、イベントそのものを表す最初の1つ)があることを表している。例 6.2のような変形をするには、x1 と x6 の場所を入れ替えるシマヴォが必要になる。このためには、SE の任意のシマヴォを、添字「6」と一緒に使うことである:
6.5) le karce cu sexixa nunkla mi le zarci le zdani le dargu la'edi'u 車で 行く出来事の交通手段である 私が 市場へ 家から 道を通って 直前の文の内容は同様に、6番目の場所タグも、FA の任意のシマヴォを添え字と一緒に使って作ることができる:
6.6) fu le dargu fo le zdani fe mi fa la'edi'u fi le zarci faxixa le karce cu nunkla 道を通って、家から、私が、直前の文の内容は 市場へ、車で、行くという出来事例 6.4から例 6.6もまた、全て同じ意味を表しており、自然言語の訳は非常にぎこちないが、どれか一つからその他を簡単に導出することができる。また、SE や FA の他のシマヴォで “sexixa” and “faxixa”を置き換えても意味は変わらない。“vexixa”は“sexixa”と同じ意味である。
ロジバンには、セルマホ KOhA に属する2つのグループの代スムティがある。ko'a シリーズは、 “goi”を使って束縛された、明示的に指定されたスムティを指す。一方、da シリーズは、存在・全称量化詞を表す(これらの概念は、16章においてより完全に説明している)
ko'a シリーズには10個、da シリーズには3個のシマヴォがある。
もしさらに多くのシマヴォが必要ならば、ko'a シリーズや da シリーズのどのシマヴォにも、添字を付けることができる:
6.7) daxivo X 添字 4これは、da シリーズの最初の列の4番めの量化詞を表す。また、
6.8) ko'ixipaso 何か3 添字 18は、ko'a シリーズの3番目の列の18番目の自由変数を表す。この手法を使えば、ko'a 型の代スムティに対して10個の列、da 型の代スムティに対して3個の列ができ、それぞれ任意の数に拡張できる。ここでの注意点は、上記の “sexixa” と “vexixa” の例と異なり、“daxivo” と “dexivo” は異なる代スムティと見なされるということである。セルマホ GOhA の bu'a シリーズと、代ブリディのギスム “broda”, “brode”, “brodi”, “brodo”, “brodu”に対しても、これと全く同じ扱いである。
レルフ詞に対する添字は、通常の数学と同じように、変数の数を増やすために使われる:
6.9) li xy.boixipa du li xy.boixire su'i xy.boixici 数字 x-添字-1 等しい 数字 x-添字-2 プラス x-添字-3 x1 = x2 + x3また、レルフ文字列は数式の外では文法的にも意味的にも ko'a シリーズの代スムティと等価であるため、代スムティの数を増やすためにも使われる。(例6.9では、 各“xy.”シマヴォの後に終端詞 “boi”が必要なことに注意しよう。この終端詞のおかげで、曖昧性なく添字を付けることができる。)
名前も、代スムティと似ており、同じ名前の2つの個体を区別するために添字を付けることができる:
6.10) la djan. xipa cusku lu mi'enai do li'u la djan. xire ジョン1 表現する “私ではない あなた” ジョン2 に。
添字を間制につけると、同じ一般のシマヴォで表現される、複数の時間や場所について話をすることができる。例えば、“puxipa” は過去におけるある一点を表し、“puxire”は(それより前もしくは後かもしれない)他の一点を表す、といった具合である。
セルマホ NA のブリディ肯定語 “ja'a” に添字をつけると、いわゆるファジー真理値を表現できる。ロジバンでファジー論理(真偽値が、単なる真と偽ではなく、0から1の間の数字で表されるような命題)を作るには、通常、抽象詞 “jei” を使う:
6.11) li pimu jei mi ganra 数字 .5 は、真偽値である 私 広いしかし、慣例によって、“ja'a”に添字を付けてファジー真偽値を示す(もしくは、量を変える場合“na”につける):
6.12) mi ja'a xipimu ganra 私 本当に-添字-.5 広い
最後に、2節で述べたように、対応する添字を持つ “ni'o”、“no'i” は、それぞれ、ある話題の開始と再開を表す。異なる添字を使うと、異なる話題を扱うことができる。
将来、添字の他の使い方が考え出されるのは間違いない。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
mai MAI 発話順序 「~番目に」 mo'o MAI 高位発話順序
自然言語で言うところの「はじめに」「二番目に」などの数値自由修飾句は、数字やレルフ文字列にセルマホ MAI の “mai” か “mo'o” をつけることによって作られる:
7.1) mi klama pamai le zarci .e remai le zdani 私 行く (はじめに) その 市場 そして (二番目に) その 家この文は、私が家に行く前に市場へ行ったということを含意しない(これを表すには時制が必要になる)。 単に参照に便利なように数字が付いているだけである。 他の自由修飾句と同様に、発話順序は、文の文法や意味を変えずにほとんどどこにでも挿入することができる。
ロジバンの数字は、何でも MAI と共に使うことができる。例えば、“romai”は「全て番目に」つまり「最後に」という意味になる。 同様に、何か長いリストを列挙していて、次にどの数字が来るかを忘れた場合、“ny.mai” つまり「N番目に」と言うこともできる。
“mai” と “mo'o” の違いは、“mo'o”はテキストのより大きな細分割を表すということである。“mai”が番号付けされた項目に対して使われるのに対し、“mo'o”は構造のある作品を分割するためのものである。例えば、この章をロジバンに翻訳したとすると、各節は“mo'o”で番号付けされることになるかもしれない。その場合、本節は、“zemo'o”つまり「第7節」として導入されるだろう。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
fu'e FUhE 態度範囲開始 fu'o FUhO 態度範囲終了
ロジバンには、発話されたものに対する話者の態度を表す「心態詞」という複雑なシステムがある。 心態詞には、感情の指標や、強度マーカー、談話系(談話の構造を示す)、明察系(話者がどのようにして知ったか)が含まれる。 これらの語のほとんどがセルマホ UI に属し、強度マーカーは歴史的な理由で セルマホ CAI に属するが、文法的にはこの2つのセルマホは同一である。UI と CAI の各シマヴォについては13章にて議論されている。本節では、談話においてどのようにそれらを適用するかということだけを述べる。
通常、心態詞は前の語だけに適用される。しかし、前の語が構造全体を始めたり終わらせたりする構造シマヴォである場合は、その構造全体が心態詞に影響される:
8.1) mi viska le blanu .ia zdani [ku] 私 見る その 青い [信念] 家 私は家を見るが、それが青いと信じている。 8.2) mi viska le blanu zdani .ia [ku] 私 見る その 青い 家 [信念] 私は青いものを見るが、それが家だと信じている。 8.3) mi viska le .ia blanu zdani [ku] 私 見る その [信念] 青い 家 私は、青い家であると信じているものを見る。 8.4) mi viska le blanu zdani ku .ia 私 見る (その 青い 家) [信念] 私は、青い家であると信じているものを見る。文全体をカバーする心態詞は、“.i”(明示的に書かれていても書かれていなくてもよい)に付与することができる:
8.5) [.i] .ia mi viska le blanu zdani [信念] 私 見る その 青い 家 私は、青い家を見ると信じている。もしくは、ブリディの最後に明示的に“vau”を置き、それに付与することもできる。
同様に、段落全体をカバーするような心態詞は、“ni'o” や “no'i” に付与できる。テキストの最初の心態詞は、テキスト全体に対して有効である。
しかし、時には心態詞の範囲をより具体的に指定したい時もある。特に、ロジバンの一般的な文法構造の境界を越える場合などである。シマヴォ “fu'e” (セルマホ FUhE) と “fu'o” (セルマホ FUhO)が、範囲を明示するのに使われる。“fu'e” を心態詞の前に置くと、“fu'o” が出現するまで、続く全ての語にその心態詞が係ることを表す。“fu'o”はどこにでも置け、有効な心態詞を全て打ち消す。例えば:
8.6) mi viska le fu'e .ia blanu zdani fu'o ponse 私 見る その [開始] [信念] 青い 家 [終了] 所有者 私は、私が青い家であると信じるものの所有者を見る。ここでは、タンル “blanu zdani ponse”のうち “blanu zdani” だけが、話者の信念であると明示されている。 当然、心態詞範囲マーカーは、複合タンルを解釈する規則に影響を及ぼさない。 “ke” や “bo” で上書きされない限り、タンルは左から右へと結合するので、“blanu zdani”が最初に結合する。
FUhEでマークした心態詞の後に、より局所的な範囲の心態詞が出現することがある。これらの心態詞は、より広範囲で有効な心態詞を上書きするのではなく、追加される。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
lu LU 引用開始 li'u LIhU 引用終了 lo'u LOhU 誤用引用開始 le'u LEhU 誤用引用終了
文法的には、ロジバンの引用は非常に簡単である。全てスムティとなり、「ここに引用されたテキスト」というような意味になる。
9.1) mi pu cusku lu mi'e djan [li'u] 私 [過去] 表現 [引用開始] 私は ジョン [引用終了] 私は「私はジョンだ」と言った。しかし、ロジバンには4つの異なる種類の引用があり、6つの異なるセルマホ持つ6つのシマヴォを使うため、少し説明が必要である。
例9.1に示した最も単純な引用では、シマヴォ “lu” (セルマホ LU) を引用開始の記号として、シマヴォ “li'u” (セルマホ LIhU) を引用終了の記号として使う。 “lu” と “li'u” の間のテキストは有効な、パース可能なロジバンのテキストでなくてはならない。引用内部が非文法的であると、その引用を囲む文全体が非文法的となる。シマヴォ“li'u”は技術的には省略可能な終端詞であるが、テキストの最後以外で省略可能であることはほとんどない。
シマヴォ “lo'u” (セルマホ LOhU) と “le'u” (セルマホ LEhU) は、文法的であるとは限らないロジバンを引用するために使う。しかし、そのテキストは、“le'u”がきちんと検出できるように(4章で定義されたように)正しいロジバンでなくてはならない。語は意味をなさないものであってもよいが、シマヴォ、ブリヴラ、シメネとしてきちんと認識できる必要がある。“lo'u”の引用は、英語(や他の言語で)非文法的な誤りを示す“*” の記号と同じよに、基本的にはロジバンを教える時に非文法的なロジバンを表すのに使われる:
9.2) lo'u mi du do du la djan. le'u na tergerna la lojban. [引用開始] mi du do du la djan. [引用終了] でない 文法的な構造 ロジバンで例 9.2は、埋め込まれた引用は非文法的であるが、全体は文法的である。同様に、“lo'u” の引用は、それ自体が文法的な発話を構成しないテキストの断片を引用することもできる:
9.3) lu le mlatu cu viska le finpe li'u zo'u lo'u viska le le'u cu selbasti .ei lo'u viska lo le'u [引用開始] le mlatu cu viska le finpe [引用終了] : [引用開始] viska le [引用終了] 置き換えられる [義務!] [引用開始] viska lo [引用終了]. “le mlatu viska le finpe”という文において、“viska le” は “viska lo” で置き換えなければならない。ここでは、話題・記述の構造(第4節参照)になっており、心態詞はセルブリだけにかかっている(第8節参照)ことに注意しよう。“viska le” と “viska lo”のどちらも正しいロジバンの発話ではないため、どちらも“lo'u”の引用が必要になる。
さらに、引用文における代スムティと代ブリディのどちらも、“lu ... li'u”が使われた際には引用中の文に現れる語を指すことができるが、“lo'u ... le'u ”の場合はそうではない:
9.4) la tcarlis. cusku lu le ninmu cu morsi li'u .iku'i ri jmive チャーリー 言う [引用開始] その 女性 は死んでいる [引用終了]。 しかし、最後のスムティ 生きている チャーリーは「その女性は死んでいる」と言ったが、彼女は生きている。例 9.4では、“ri” は最も近い前のスムティを指す代スムティであり、“le ninmu” を指す。一方、
9.5) la tcarlis. cusku lo'u le ninmu cu morsi le'u .iku'i ri jmive チャーリー 言う [引用開始] その 女性 は死んでいる [引用終了]。 しかし、 最後のスムティ 生きている チャーリーは「その女性は死んでいる」と言ったが、彼は生きている。19節で議論するメタ言語的な “si”, “sa”, “su”は、“lo'u” と “le'u” の間のテキストでは機能しない。“le'u”が最初に出てきた時点で“lo'u”の引用を終端するので、直接“lo'u”引用を他の“lo'u”引用の中に置くことはできない。ただし、10節で議論するように、シマヴォ “zo” を前に置けば、“le'u” を“lo'u ... le'u”引用の中に置くこともできる。なお、“le'u”は省略可能ではない。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
zo ZO 単一の語を引用 zoi ZOI 非ロジバン引用 la'o ZOI 非ロジバン名
シマヴォ“zo” (セルマホ ZO) は、次に続く単一の語に対する強い引用符であり、引用される語はロジバンの語ならどんなものであってもよい。他の使い方としては、メタ言語的な語でも、周囲のテキストに影響を及ぼすことなく参照することができる。引用される語は、形態論的に正しい(ただし意味が通る必要はない)単一のロジバンの語である必要がある。複合シマヴォは許されない。例えば:
10.1) zo si cu lojbo valsi “si” はロジバンの語である“zo” は単一の語だけに作用するため、対応する終端詞は無い。簡潔さが“zo”の大きな利点である。他の引用符の終端詞が省略可能であることはほとんど無いからである。
シマヴォ “zoi” (セルマホ ZOI) は非ロジバンテキストを引用するのに使う。構文は “zoi X. [テキスト] .X ”となり、ここで X はロジバンの語(区切り語と呼ばれる)であり、被引用語からは休止で分けられ、テキストや発話の音素列の中に出現しないものである。引用されている言語のロジバン名に対応するレルフ詞(セルマホ BY)を使うことが一般的であるが、必ずこうしなければならないわけではない。
10.2) zoi gy. John is a man .gy. cu glico jufra “John is a man” は英語の文である。ここで、“gy” は “glico”の意味である。 他によく使われる選択は、英語の “quote” と同じような音の “.kuot.”や、語 “zoi” そのものも使われる。また、他の可能性としては、引用の話題を表す語もある。
書き言葉では、区切りとして使われているロジバンの語は現れてはいけない。また、話し言葉では、区切り語は話してはいけない。これによって、音と表記の一致の原則が崩れることがある。例10.3は、話し言葉では問題ないが書き言葉では非文法的であり、一方、例10.4は、書いたときには文法的であるが話した時にはそうではない:
10.3) ?mi djuno fi le valsi po'u zoi gy. gyrations .gy. 私は 知っている 語 それは “gyrations”. 10.4) ?mi djuno fi le valsi po'u zoi jai. gyrations .jai 私は 知っている 語 それは “gyrations”.“gy”というテキストが書き言葉の “gyrations” には出現し、“jai” で表されるロジバンの音が、話し言葉の “gyrations” に含まれている。このような微妙な場合は、良いスタイルという点では避けたほうが良い。
“zoi”引用は、ラフシ、特に CCV 型のラフシを引用する唯一の方法であることを述べておこう。ラフシはロジバンの語ではなく、“zoi”でしか引用できない。(CVC型と CVV型のラフシは名前とシマヴォのように見えるため、他の方法を使って引用することができる)
10.5) zoi ry. sku .ry. cu rafsi zo cusku “sku”は “cusku”のラフシである。
(“lo'u ... le'u”と “zoi” の関係性について少し注意:“lo'u” と “le'u” の間のテキストはロジバンの語のみで構成されていなければならない。実際、非ロジバンのテキストも、“zoi”引用の形で含めることができる。しかし、“le'u” を“zoi”引用の区切り語として使った場合や、引用の途中で使った場合、外側の“lo'u”はいきなり終端されてしまう。そのため、“le'u”を区切り語として使うのは“zoi”引用では避けたほうが良い)
ロジバンでは、「モノ」と「モノの名前」を厳密に区別する:
10.6) zo .bab. cmene la bab. 語 “Bob” は名前である ~という名前のもの ボブ例10.6では、“zo .bab.”は語であり、“la bab.”は語によって名付けられたモノである。シマヴォ “la'e”と“lu'e”(セルマホ LAhE)によって、参照と参照されているものとの間を相互に変換できる:
10.7) zo .bab. cmene la'e zo .bab. 語 “Bob” は名前である 語 “Bob” の指す内容の。 10.8) lu'e la bab. cmene la bab. ボブに対するシンボルはボブの名前である。例10.6 から 例10.8 は全て、強調を別にするとほぼ同じことを言っている。例 10.9 は違う意味になる。
10.9) la bab. cmene la bab. ボブはボブの名前である。これは、ボブは、名前であり、かつ名付けられたものである、と言っており、あり得ない状況である。人は名前ではないからである。
(例10.6 から 例10.8では、名前「ボブ」は、前の“zo”からは休止で区切られ、“zo .bab.”となっている。この理由は、 ロジバンの名前はすべて、前の語が“la”, “lai”, “la'i” (セルマホ LA), “doi” (セルマホ DOI) でない限りは、前の語とは区切らなければならないからである。 他にも、名前の前に来る可能性のあるシマヴォはたくさんある。“zo”はその中でも最も一般的なものである。)
シマヴォ “la'o” も、セルマホ ZOI に属し、完全性のためにここで紹介しておくが、それは引用の最初を表すものではない。代わりに、“la'o”は非ロジバン名、特に、国際標準化された動物や植物の種の名前を表す学名(“Homo sapiens”のような)を表記する役目を果たす。“Goethe”のような、発音より綴りのほうが容易に認知され得る名前も、“la'o”を伴って出現し得る:
10.10) la'o dy. Goethe .dy. cu me la'o ly. Homo sapiens .ly. ゲーテは Homo sapiens である。しかし、ロジバン化せずに、“la'o”を全ての名前に使うと、非常にぎこちないテキストができてしまう。“la'o” にだいたい対応するのは、“la me zoi”である。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
ba'e BAhE 次の語を強調 za'e BAhE 次の語は臨時語である
英語では、対照強調を表すのに、強調する語に強勢を置くことが多い。したがって、
11.1) I saw George.は、
11.2) I saw George.とは意味が異なる。 “George” に対する強勢(イタリックで書かれる)は、私が見たのはジョージであって、他の誰でもないことを示している。ロジバンでは、このようには強調しない。 強勢は、語どうしを分割するため(ブリヴラではかならず最後から2番目の音節に強勢が置かれる)と、他の言語の強勢パターンに合うように名前において用いられるだけである。他の言語では、強勢をこのように使わないことに注意しよう。普通は、以下のように語順を入れ替える:
11.3) It was George whom I saw. (私が見たのはジョージであった)
ロジバンでは、シマヴォ“ba'e”(セルマホ BAhE)を単一の語の前に付けて、強調を表す:
11.4) mi viska la ba'e .djordj. 私 見た ~という名前のモノ [強調] “ジョージ” 私は ジョージを見た。
名前「ジョージ」の前の休止に注意しよう。これは、“ba'e”と名前を曖昧性なく分離するためのものである。もしくは、“ba'e”を“la”の前の位置に移動しても、“la djordj.”という構造全体を実質的に強調する。
11.5) mi viska ba'e la djordj. 私 見た [強調] ~という名前のもの “ジョージ” 私は ジョージを見た。語に BAhE のシマヴォをつけても、語の文法を変えることは全くない。ブリディ内のどの語にも、対照強調を適用することができる:
11.6) ba'e mi viska la djordj. 他のだれでもなく私が、ジョージを見た。 11.7) mi ba'e viska la djordj. 私は、ジョージを(聞いたのでも匂いを嗅いだのでもなく)見た。
ブリディを、話者や書き手の通常の順序とは異なる順序にすることによって、構造的要素を強調することができる。通常の場所とは異なるスムティやセルブリは、ある程度強調されていると言える。
完全のために、シマヴォ “za'e” (セルブリ BAhE) にも言及する必要がある。これは、単語が通常とな異なる、非標準的な、臨時的な(その場で作られた)ものであることを示している。
11.8) mi klama la za'e. .albeinias 私 行く いわゆる アルバニア へこれは、英語名のロジバン化を表しており、アルバニア語での国名の発音を反映したより適切な標準形は“la ctiipyris.”のようなものになるだろう。
ルジヴォやフヒブラの前で“za'e”を使うと、その語がその場で作られ、完全な辞書にも載っていないような意味で使われているかもしれないことを表している(もし「完全な辞書」というものがあれば、の話だが)。
to TO 開き括弧 to'i TO 編集コメント開き括弧 toi TOI 閉じ括弧 sei SEI メタ言語ブリディマーカー
シマヴォ “to” と “toi” は、談話的な(数学的ではない)括弧であり、補足コメントを挿入する。どのようなテキストでも括弧の中に入れることができ、その文脈からは完全に見えない。しかし、括弧内から、代スムティや代ブリディを使って文脈を参照することができる。文脈の中で代入されたものは括弧内コメントにおいても有効であるが、逆は真ではない。
12.1) doi lisas. mi djica le nu to doi frank. ko sisti toi do viska le mlatu リサ、 私 望む その 出来事 (フランク、[命令] 止まる!) あなた 見る ネコ リサ、 あなたにお願いが (フランク、やめて!) あって、ネコを見てほしいの。例 12.1 では、暗黙的に“do”を括弧内において、“doi frank.”で再定義している。しかし、元の文が再開したときには、前の聞き手であるリサが、自動的に復元される。
セルマホ TO のシマヴォには “to'i”もある。“to” と “to'i” との違いは、英語の散文における括弧と角括弧との違いである。“to ... toi”シマヴォは、同じ話者であることが含意されるが、“to'i ... toi ”では他の誰か、おそらく編集者であることが含意される:
12.2) la frank. cusku lu mi prami do to'isa'a do du la djein. toi li'u フランクは 話す “あなたを愛している [あなた = ジェーン]”
“sa'a” の接尾辞は、「編集挿入」を表す談話系シマヴォ(セルマホ UI)であり、語や構造(この場合、括弧書きされたコメント全体)が引用の一部ではないことを表す。 “to'i ... toi”コメントが、物理的に引用符の内側に含まれている場合には必ず必要になる。もちろん、これは聞き手が文字通り解釈する場合であり、混乱の恐れが無いときこの慣習は緩和しても良いかもしれない。
注: 構文解析器は、括弧が直前の語や構造に付随しているとして解析する。添字など「自由修飾詞」と呼ばれるものとして扱うからだ。しかし意味的には、括弧コメントは前や後ろに来るものに付随しているとは限らない。
シマヴォ “sei” (セルマホ SEI) は、埋め込み談話ブリディを開始する。“sei”と共に付加されたコメントは、談話の主な話題に関するものというよりは談話そのものについてのものであるため、「メタ言語的」であると言われる。本章においては、この「メタ言語的」の意味をずっと用い、「他の言語を表現するための言語」という意味(訳注:XML、SGML など)と混同しないように注意しよう。
“sei”が付いた場合、メタ言語的発話は、談話系として他の発話に埋め込むことができる。こうすると、セルマホ UI に割り当てられたシマヴォが無い談話系も表現できる:
12.3) la frank. prami sei la frank. gleki la djein. フランクは愛している (フランクは嬉しい) ジェーンを。嬉しさの心態詞 “.ui” を使うと、話者が嬉しいという意味になってしまうが、ここでは嬉しさはフランクに付随している。ここでは、誰が嬉しいかを省略して、以下のように言っても恐らく安全であろう:
12.4) la frank. prami sei gleki la djein. フランクは愛している (嬉しい) ジェーンを。“sei”に続くブリディの文法には、普通には無い制限がある。スムティがセルブリの前に来るか、そうでなければ“be”や“bei”でセルブリと接続されていなければならない:
12.5) la frank. prami sei gleki be fa la suzn. la djein. フランクは愛している (スーザンは嬉しい) ジェーンを。この制限のおかげで、終端シマヴォ “se'u” はほとんどの場合、省略可能になっている。
談話系の発話は、非談話系の発話よりも抽象化の「高い」レベルで機能するため、非談話系の発話は、談話系の発話を指し示すことができない。 セルマホ KOhA の(訳注:代スムティなどの)色々な逆算や、相互参照、自己参照などの構造は、参照先を決定する際、「より高い」メタ言語的レベルの発話を無視する。 一方、より低いメタ言語的レベルを参照することは可能であり、時に必要である。例えば、英語では、会話における “he said” はメタ言語的である。 この目的のためには、引用は周囲の文脈より低いメタ言語的レベルにあるとみなすことができる。(引用されたテキストからは、引用したテキストを参照することはできない) 一方で、括弧書きされたコメントは文脈より高いレベルにあると見なされる。
ロジバンでは、自然言語の「~と言った」を、引用の代わりにに明示することができる。例えば、
12.6) la djan. cusku lu mi klama le zarci li'u ジョンは表現する “私 行く 市場へ”.というように言えるが、これは文字通りジョンが引用テキストを発話したことを表明している。 会話でよくあるように、ジョンが発話したということが中心的な表明であれば、このスタイルが最も理にかなっている。 しかし、会話を引用する書き言葉では、「~と彼は言った」「~と彼女は言った」を会話の一部とはみなしたくないであろう。 もしこれを明示しなければ、照応の逆算に混乱を来す。その代わりに、
12.7) lu mi klama le zarci seisa'a la djan. cusku be dei li'u “私 行く 市場へ (ジョン 表明 この文を)” “私は市場へ行く”とジョンが言った。と言える。もちろん、他の語順も可能である:
12.8) lu seisa'a la djan. cusku be dei mi klama le zarci ジョンは言った。「私は市場へ行く」。 12.9) lu mi klama seisa'a la djan cusku le zarci 「私は行く」ジョンが言った。「市場へ」それぞれの “sei”のあとに付いている“sa'a”に注意しよう。これは、それらが編集挿入であり、引用の一部分ではないことを示している。より自由な状況では、これらの“sa'a”シマヴォは省略しても良いかもしれない。
“sei” に対する省略可能な終端詞は“se'u” (セルマホ SEhU) である。これは、“sei” コメント内のセルブリを、すぐその後に来るコメント外のセルブリと分離する以外には、ほとんど必要とはならない。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
si SI 語消去 sa SA 句消去 su SU 談話消去
シマヴォ “si” (セルマホ SI) は、直前の語を、それが全く発話されなかったかのように消去するメタ言語的演算子である:
13.1) ti gerku si mlatu これは 犬である、[消去]、 ネコである。この意味は、“ti mlatu” と同じ意味を表す。複数の“si”を連続して使うと、適切な数の語が消去される:
13.2) ta blanu zdani si si xekri zdani あれは 青い 家、[消去] [消去] 黒い 家語 “zo” を消すには、“si” を3回連続で使わなければならない:
13.3) zo .bab. se cmene zo si si si la bab. 語 “ボブ” ~の名前である 語 “si”、 [消去]、 [消去]、 ボブ。最初に出てくる “si” は、“zo” 引用を完成させるだけで、何も消さない。最初の“si” と “zo” を消すには、“si” がもう2つ必要になる。
名前を間違えても、同様に “si”が面倒なことになることがある:
13.4) mi tavla fo la .esperanto si si .esperanton. 私 話す 言語で ~という名前の “と” “スペラント”、[消去]、[消去]、エスペラントロジバン化された綴りである “.esperanto” は、ロジバンの形態論規則(第4章)によって、シマヴォ “.e” と、未定義のフヒブラ “speranto”に分解されてしまう。よって、それらを消すためには“si” が2つ必要になる。もちろん、“.e speranto” は“la” のあとでは文法的ではないが、“si” の認識は構文的な解析の前の段階で行われる。
より面倒な例は、“zoi” を間違って発話してしまった場合だ:
13.5) mi cusku zoi fy. gy. .fy. si si si si zo .djan 私 表現 [非ロジバン] [引用開始] “gy” [引用終了]、[消去]、[消去]、[消去]、[消去]、“ジョン”。例13.5 では、最初の “fy” は区切り語として認識される。次の語は区切り語とは違うものなら何でも良いので、とりあえず文字 “g” のロジバン名である “gy.”を任意に選んだ。次に、区切り語を繰り返す必要がある。“si”で消すために、引用されたテキスト全体が1語として扱われるので、4個の“si”がそれらを完全に消すのに必要になる。同様に、引用開始記号 “lo'u” を間違って発話してしまった場合、“fy. le'u si si si”を使い、引用を完成してから、それらを3個の“si”シマヴォで消す必要がある。
“zo” や “zoi” の構造全体が消されなかった場合はどうであろうか。結果としては、“zo” や “zoi” の続きに来る語がなく、宙ぶらりんになった状態となってしまい、これはどうしようも無く非文法的である。そのため、“zo”で引用した語を消すためだけに、“zo”そのものも消す必要があることになってしまう:
13.6) mi se cmene zo .djan. si si zo .djordj. 私 ~という名前 語 “ジョン”、[消去]、[消去]、語 “ジョージ”。“zo .djan. si .djordj.”は、構文解析に失敗する。この文脈では“djordj.” は引用された語ではなく名前 (セルマホ CMENE) だからである。
注意:現在の構文解析器は“si”の消去を実装していない(訳注:本書翻訳時点 2013年では、camxes など対応している構文解析器もある。)
上の例が示すように、“si”を正確に用いて消去するのは非常に難しい。そのため、シマヴォ“sa” (セルマホ SA) が、2個以上の語を消去するために用意されている。“sa”の次にはシマヴォが続き、これがある文法的構造の開始マーカーを表す。“sa”の働きは、その開始マーカーが最後に出現したところまで(それを含めて)消去するというというものである。例えば:
13.7) mi viska le sa .i mi cusku zo .djan. 私 見る その ... 私 言う [引用] “ジョン”。“sa” の次の語が文分割“.i”であるため、その効果は、前の文まで消去するというものである。そのため、例 13.7は、以下と同等である:
13.8) mi cusku zo .djan.他の例として、文ではなく記述の一部を消すこともできる:
13.9) mi viska le blanu zdan. sa le xekri zdani 私 見る その 青い い ... その 黒い 家。例13.9の “le blanu zdan.”は非文法的であるが、話者の“le blanu zdani”という発話の意図を明らかに反映している。しかし、“zdani”は途中で切れ、名前になっている。この非文法的な“le”構造全体が消去され、“le xekri zdani”で上書きされる。
注意:現在の構文解析器は、“sa” を実装していない(訳注:同様に、2013年本書翻訳時点で、camxes など対応している構文解析器もある。)。コンピュータにとって“sa”をきちんと解析することは、(非文法的かもしれない)文法的構造ではなく、より単純な単位である単語単位で定義されている “si”よりもさらに難しい。一方、人間にとっては、きちんと使うためのルールが煩雑ではないので、一般的により使いやすい。
シマヴォ “su” (セルマホ SU) は、もうひとつのメタ言語的演算子であり、全体のテキストを消去する。しかし、テキストに複数の話者が関わっている場合には、“su”は(その話者が何も言ってない場合を除いて)それを言った話者の発言のみを削除する。会話における議論全体を削除するには“susu”が必要になる。
注意:現在の構文解析器は、“su” や “susu”による消去を実装していない。(訳注:同上)
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
.y. Y 躊躇のフィラー
話者は、次に言うことを考えたり、何らかのメタ言語的な理由により躊躇する必要がある。ロジバンでは躊躇するのに2つの方法がある。語の間で休止する(つまり、何も言わない)か、シマヴォ “ .y. ” (セルマホ Y) を使う。これは、英語で “uh” や “er” と書かれる躊躇フィラーに音が似ているが、前後に休止を挟む点が違う。長い休止とは違い、もう何もいうことが無いと誤解される可能性がなく、話者が発言権を保持できる。ロジバンでは母音の長さは重要ではないので、“y”の音は必要なだけ伸ばすことができる。さらに、付随する休止を守る限り、音を繰り返すこともできる。
英語における躊躇のフィラーは正式な言語の外にあるため、英語話者にとって正式なシマヴォが必要であることは疑問であるかもしれない。しかし、他の言語では、単語を言ったり繰り返したりして躊躇する(あるスペイン語の方言において「つまり」を意味する “este”など)。さらに、ロジバンには音綴同形の原則があるため、意味のある発話はすべて書き言葉でも表現する。もちろん、“.y. ”は文法的には意味を持たない。単語の真ん中を除いて、ロジバン文のいかなる場所にも出現できる。
本節では、以下のシマヴォを取り扱う:
fa'o FAhO テキストの終了
シマヴォ “fa'o” (セルマホ FAhO) は、テキストの終わりを表し、通常省略される。コンピュータとのやりとりにて、入力や出力の終わりを示したり、会話において発言権を明示的に譲ったりする時に使う。これは通常の文法の外であり、機械パーサーはこれを受け取ると、それが “zo” や “lo'u ... le'u”で引用されていない限り、無条件に構文解析を停止するという意味になる。特に、“lu ... liu”の引用や “to ... toi” で囲まれた付属テキストの最後では使われない。
以下のリストは、パーサーの最初の段階で認識されるシマヴォとセルマホのリストであり、それぞれがどのように相互作用するかを示している。すべてのシマヴォは本章で言及がある。シマヴォは小文字で、セルマホは大文字で表される。
以下のリストは、ロジバンにおける全ての省略可能な終端詞のリストである。最初の列は終端詞、次の列は対応する構造を開始するセルマホ、最後の列はどのような構造を終端するかを示している。各終端詞は、同名のセルマホに属し、そのセルマホにはその終端詞のシマヴォのみが含まれる。
be'o BE タンル単位に付属したスムティ boi PA/BY 数・レルフ文字列 do'u COI/DOI 呼応句 fe'u FIhO アドホックな法制タグ ge'u GOI 関係句 kei NU 抽象化ブリディ ke'e KE 様々なグループ ku LE/LA 記述スムティ ku'e PEhO 前置メクソ ku'o NOI 関係節 li'u LU 引用 lo'o LI 数スムティ lu'u LAhE/NAhE+BO スムティ限定詞 me'u ME スムティから作ったタンル単位 nu'u NUhI 前置名辞組 se'u SEI/SOI メタ言語的挿入 te'u various メクソ変換構造 toi TO 括弧コメント tu'u TUhE 複数の文や段落 vau (none) 単ブリディ・ブリディ末端 ve'o VEI メクソ括弧