[Cartoon]

CLL 第9章 ボストンにその道を通って行きます私は、法制の国への遠足付きで

1. はじめに

ロジバン文の基本形はブリディ、つまり、「いくつかの対象の間に、ある関係が成り立つ」という話し手の主張である。これらの対象は「スムティ」という形で表す。対象の間に成り立つ関係は「セルブリ」という形で表す。

各スムティ間の関係はセルブリの「PS (place structure)」に従う。 この章では、 ブリディの PS を表現したり操作したりするための いろいろな方法を述べる。 一つのセルブリの PS は空っぽの受け皿 (slot) の列でできている。 これらの受け皿の中に、このセルブリに関連するスムティが配置される。

ここでは、どのセルブリの PS も良くわかっているものとする。 セルブリがブリヴラである場合、その PS を知るためには辞書をひけば良い。 そのブリヴラが辞書にないルジヴォである場合は、第12章で解説するルジヴォ構成の原則から推測する。 セルブリがタンルである場合、そのPSはタンルの中で最後に来る構成要素のPSと同じである。

PS のおきまりの例はギスム「klama」の PS だ。

 
       klama: x1 が x2 へ x3 から x4 を通って x5 を使って行く

x1 から x5 まであるから「klama」は5つの場所をもつセルブリになり、この順番が場所(行為者・終点・起点・経路・手段)の本来の順番である。

ブリヴラのPSは絶対に揺るぎないものではなく、個々のセルブリを実際に使ってみて不都合なところがあれば、ある程度の修正は避けられないだろう。

2. 標準的なブリディの形:「cu」

この節では以下のシマヴォが議論される。

 
     cu      CU                  前置型セルブリ分離

「klama」などのセルブリ1個と、適切な個数のスムティからブリディを構成する方法はいくつかある。最も良くある方法は、x1に入れたいスムティをセルブリの前に置き、他のスムティをセルブリの後に x2, x3, x4, x5 の順に置く方法だ。

 
2.1)   mi cu klama la bastn. la .atlantas. le dargu le karce
       私は行く、ボストンへ アトランタから 道を通って 車で。
ここで使われているスムティは以下のような場所に割り当てられている。
 
       x1  行為者		mi
       x2  終点		la bastn.
       x3  起点		la .atlantas.
       x4  経路		le dargu
       x5  手段		le karce
(注:この章では、以下に出てくる他の例文も 例 2.1と同じ意味になるものが多い。)

この順番を「標準ブリディ形(standard bridi form)」と言う。 ほかに、例えば以下の形も可能だ。

 
2.2)   mi la bastn. la .atlantas. le dargu le karce cu klama
       私は ボストンへ アトランタから 道を通って 車で 行く。
この例ではセルブリが最後にあり、スムティが全部、セルブリの前に置かれている。ただし、スムティの順番は例 2.1と同じだ。

セルブリをスムティの列の途中に置くこともできる。

 
2.3)   mi la bastn. cu klama la .atlantas. le dargu le karce
       私は ボストンへ 行く、アトランタから 道を通って 車で。
この節以下で出てくるブリディの変化形は、標準ブリディ形での場所から移動した部分を強調するために使うことができる。この観点から言えば、 例 2.2 ではセルブリが最後に移動されているので、このセルブリを強調している。 例 2.3 では「la bastn.」がセルブリの前に移動されているから、このスムティを強調していることになる。複数の要素を移動した場合は、強調の効果が薄まることになる。順序を大幅に並べ替えることもできるが、そういう並べ替えが文体上どういう意味があるかは、まだ決まっていない。
# 順序に強調の意味を持たせることについては異論がある。構文解析上、テルブリの要素は対等である。シマヴォ ba'e を使えば、順序に頼ることなく強調を表すことができる。

以上の例では、セルブリをそれに先行するスムティと分けるために、シマヴォ「cu」(セルマホ CU に属する)が使われている。「cu」は絶対に必要なわけではない。しかし「cu」があれば、読み手や聞き手にとって、セルブリの場所をすばやく把握しやすい。それに、セルブリの直前に複合スムティを置くとき、「cu」が無ければスムティの終端詞が必要になり、場合によっては終端詞を何個も連ねることになるが、「cu」があれば、これらの境界詞をすべて省くことができる。

一般的な規則として、ブリディの中でスムティの順序が変わらないかぎり、セルブリをどこに置いても良い。ただし重要な例外が1つだけある。セルブリが最初に出てきた場合は、 x1 のスムティは省略されたとみなされる。

 
2.4)   klama la bastn. la .atlantas. le dargu le karce
       行く者だ、ボストンへアトランタから道を通って車で!(観察文)
この x1 の場所は空っぽである。誰がボストンへ行ったのか、聞き手は文脈から推測しなければならない。例 2.4は x1 に入るものが指定されていない文で、セルブリ「klama」が強調されている。 x1 が空っぽのブリディは、聞き手に対して、環境の中の x1 に入るべきものに注目 (observe) するように要請していることが多い。だから、 x1 が空っぽのブリディを「観察文 (observative)」と言う。 例 2.4の訳は、この観察文の性質を示すものだ。 聞き手に注目してほしいものが x1 ではなくて関係そのものである場合もある。
# 「関係そのもの」とは、つまりセルブリ。

(x1 に入るスムティを省略することなく、セルブリをブリディの冒頭に持ってくる方法もある(例 3.7)。)

話し手が x1 以外の場所を省略したい場合はどうするか?(その場所に入るスムティが明らかだったり、何らかの理由で言うまでもないことだったりする場合。)最後の場所を省略するには、単に言わずに済ませば良い。

 
2.5)   mi klama la bastn. la .atlantas.
       私は行く、ボストンへアトランタから(不特定の経路で不特定の手段で)。
例 2.5 の場所 x4, x5 は空っぽだ。話し手は経路も移動手段も示していない。しかし、省略したい場所の前後の場所にスムティが入っている場合は、単純に省略することはできない。
 
2.6)   mi klama la bastn. la .atlantas. le karce
       私は行く、ボストンへアトランタから車を通って。
「le karce」が x4 の場所に入っているので、例 2.6 の意味は
 
       私は行く、ボストンへアトランタから、車を経路として。
となってしまう。車はふつう経路になれないので、おかしな意味になる。話し手が言いたいことは、おそらく
 
2.7)   mi klama la bastn. la .atlantas.  zo'e le karce
       私は行く、ボストンへアトランタから何か不特定の経路を通って車で。
ここではスムティのシマヴォ「zo'e」が使われ、これが x4 の場所に入ることが明示されている。「zo'e」は「不特定のもの」という意味で、「その場所が空っぽだ」ということと同じ意味になる。聞き手は正しい意味を文脈から推測しなければならない。

3. 場所タグを付ける: FA

この節では以下のシマヴォが議論される。

 
     fa      FA                  x1 場所タグ
     fe      FA                  x2 場所タグ
     fi      FA                  x3 場所タグ
     fo      FA                  x4 場所タグ
     fu      FA                  x5 場所タグ
     fi'a    FA                  PSを尋ねる

例 2.1のような文では、どのスムティがどの場所に入っているか、わからなくなることもある。スムティが単なる名前とか描写とかではなく、もっと複雑な形であるときは、なおさらだ。セルマホ FA の場所タグは、 PS をはっきりさせるために使われる。5個のシマヴォ「fa」「fe」「fi」「fo」「fu」を、それぞれ x1 から x5 に入るスムティの直前に置くことができる。

 
3.1)   fa mi cu klama fe la bastn. fi la .atlantas. fo le dargu fu le karce
       私は行く、ボストンへアトランタから道を通って車で。
例 3.1では、「le karce」の前に「fu」タグがあるので、「le karce」が「klama」の x5 の場所に入っていることがわかる。「fu」を使っても、 x5 という場所を使った目的や意味に影響はない。単に「le karce」が x5 に入っていることがわかるだけだ。

例 3.1は、例 2.1をただ冗長にしただけで、タグが無駄に付けられている。ブリディをわかりやすくするために FA タグを使う説明としては、以下の方が良い。

 
3.2)   fa mi klama fe le zdani be mi be'o poi nurma vau fi la nu,IORK.
       私は行く、田舎の[私の家]へニューヨークから。
例 3.2では「klama」の PS が以下のようになっている。
 
       x1  行為者		mi
       x2  終点		le zdani be mi be'o poi nurma vau
       x3  起点		la nu,IORK.
       x4  経路		(空っぽ)
       x5  手段		(空っぽ)
x2 の場所に入っているスムティが複合スムティなので、このスムティを聞いているうちに、次のスムティがどの場所に入るか、忘れがちだ。こういうときに「fi」タグがあれば、聞き手は、後続のスムティが「klama」の x3 の場所に入ることを思い出すことができる。

もちろん、スムティに一旦タグが付いてしまえば、スムティの出現順は PS 上の場所と関係なくなる。だからタグ付きのスムティは、ブリディの中で好き勝手な順序で使って良いし、セルブリを冒頭に置いても x1 を省略したことにはならない。

 
3.3)   klama fa mi fi la .atlantas. fu le karce fe la bastn. fo le dargu
       行く、私はアトランタから車でボストンへ道を通って。
例 3.3ではセルブリの前に「cu」を付けてはいけないことに注意しよう。「cu」はセルブリを先行するスムティから分離するものだが、例 3.3では先行スムティが無いのだから。
 
3.4)   fu le karce fo le dargu fi la .atlantas. fe la bastn. cu klama fa mi
       車で道を通ってアトランタからボストンへ行く、私は。
例 3.4では、スムティやセルブリが例 2.1例 3.1のような標準ブリディ形と逆の順序で並んでいる。それでも例 2.1例 3.1と全く同じ意味になる。しかし FA タグをはずすと、意味が全く変わってしまい、おかしな文になってしまう。
 
3.5)   le karce le dargu la .atlantas. la bastn. cu klama mi
       車は行く、道へアトランタからボストンを通って私で。

FA シマヴォのタグをつけることで、場所の順序を入れ替えるだけでなく、いらない場所を省略するのも簡単になる。この場合、「zo'e」は不要だし、 x1 に入るスムティがセルブリの前にあるかどうか気にかける必要もない。

 
3.6)   klama fi la .atlantas. fe la bastn. fu le karce
       行く者だ、アトランタからボストンへ車で。
この例では x1 と x4 の場所が空っぽで、「fa」や「fo」のタグが付いたスムティは無い。さらに、 x2 と x3 の場所の出現順が逆になっている。

もし、ひとつのブリディの中に、FA タグが付いたスムティとタグ無しのスムティがあると、どうなるか? この場合は FA タグ付きのスムティに後続するスムティには、 タグ付きスムティの PS 上の場所の次に来る場所が割り当てられる。ただし、そのタグ付きスムティより前に別のスムティがあれば、そのスムティが入っている場所をスキップする。

 
3.7)   klama fa mi la bastn. la .atlantas. le dargu le karce
       行く、私はボストンへアトランタから道を通って車で。
例 3.7では、「fa」があるので「mi」が x1 の場所に入り、後続するタグ無しスムティの場所は x2, x3, x4, x5 という順序になる。この方法で、セルブリを冒頭に置いても x1 に入るスムティを指定することができる。

もっと複雑な(そして分かりにくい)例は以下のようなものだ。

 
3.8)   mi klama fi la .atlantas. le dargu fe la bastn. le karce
       私は行く、アトランタから道を通ってボストンへ車で。
例 3.8では、「mi」はセルブリよりも先に出てきて、この文で最初に来るスムティだから、 x1 に入る。2番目のスムティ「la .atlantas.」には「fi」タグが付いているから、 x3 に入る。「le dargu」は、 x3 に入った「la .atlantas.」の次に出てくるから、 x4 に入る。「la bastn.」は「fe」タグが付いているから x2 に入る。「le karce」は x2 に入った「la bastn.」の次に出てくるけれども、すでに他のスムティが入っている x3, x4 の場所をスキップするので、 x5 に入る。

タグのこんなに入り組んだ使い方は避けた方が良いだろうが、自然言語の直訳をするときには有用だろう。ここに述べた規則は、単に、ブリディの解釈を可能にするための基準として、与えられているだけだ。

複数のスムティに同じ FA シマヴォのタグを付けることも、文法的に許されている。そうすると、複数の主張を1つのブリディで表すことになる。

 
3.9)   [fa] la rik. fa la djein. klama [fe] le skina fe le zdani fe le zarci
       リックはジェインは行く、映画へ家へオフィスへ。
この例では、リックとジェインが2人とも映画や家やオフィスへ行くという6つの主張を、1つのブリディで表している。ただ、この使い方はむしろ聞き手を混乱させるだろう。 こういうことをロジバンで表現するために、論理結合というもっと良い方法があり、これについては14章で説明する。実際、複数のスムティを1つの場所に入れるには FA を明示するしか方法がないのだから、これは奇妙なブリディだ。 さきほどの「すでにスムティが入っている場所はスキップする」という条件は、複数のスムティが1つの場所に入るという奇妙なことを避けるために与えられている。あの条件があるおかげで、 FA シマヴォのタグを付けて PS 上の場所を明示しないかぎり、すでにスムティが入っている場所に他のスムティを押し込むようなことは避けられる。
# 「山は海はやつぱり美しい」(『行乞記(二)』種田山頭火)を訳すとき、「山と海は」という表現と区別するために、1つのブリディの中で fa を2回使うことは有効だ: ja'o fa lo cmana fa lo xamsi cu melbi

シマヴォ「fi'a」もセルマホ FA の一員だ。「fi'a」を使って、 PS についての質問をするブリディを作ることができる。「fi'a」を使ったブリディは、そのブリディを真にするために fa, fe, fi, fo, fu のうちのどれを使うのが適切なのか、聞き手に尋ねる文になる。

 
3.10)  fi'a do dunda [fe] le vi rozgu
       あなたがですか、それともあなたにですか、この薔薇を与えたのは?
例 3.10で、話し手はセルブリ「dunda」を使っている。その PS は以下のようになっている。
 
       dunda: x1 は x2 を x3 に与える
「fi'a do」というタグ付きのスムティは、「スムティ do が x1 に入るのか x3 に入るのかを話し手が知りたい」ということを表している。 x2 にはすでに「le rozgu」が入っているので、質問の対象にならない。聞き手がこの質問に答えるには FA シマヴォ1個だけから成る文を使えば良い。「私が与えた」と答えるには「fa」と言えば良いし、「私に与えた」と答えるには「fi」と言えば良い。
# fi'a は、 PS の欠けている部分全てを問うと考える必要は無い。 do klama fi'a lo zdani と言うとき、ふつうは klama の x4 や x5 を選択肢に入れなくて良いだろう。
# fi'a を使う事で、接続詞を省略できる。例えば、 do dunda .i je'i dunda do や ge'i do dunda gi dunda do の代わりに fi'a do dunda と尋ねることができる。

例 3.10ではタグ「fe」を括弧に入れて書いたが、この「fe」は無くても同じ意味になる。なぜなら、「fi'a」は番号付きのタグとして数えられることはなく、「le vi rozgu」はタグが無くても、セルブリの直後に置かれていることから必然的に x2 の場所に入るからだ。

FA類に属するシマヴォとして、もう1個、「fai」というのがあるが、これについては 12節で述べる。

4. 転換 SE

この節では以下のシマヴォが議論される。

 
     se      SE                  第2場所転換
     te      SE                  第3場所転換
     ve      SE                  第4場所転換
     xe      SE                  第5場所転換

これまで、ブリディの中でスムティを移動する方法を見てきたが、セルブリの PS そのものはいじらなかった。セルマホ SE の転換シマヴォはセルブリ自体の中に組み込まれ、転換セルブリという新しいセルブリを作り出す。転換セルブリの PS は元のセルブリの PS と異なる。 SE シマヴォを付けると、場所の個数と意味は変わらないが、 x1 の場所が他のどれか1つの場所と入れ替わる。どの場所が x1 の場所と入れ替わるかは、どのシマヴォを選ぶかによって違う。例えば、「se」を使うと x1 の場所は x2 の場所と入れ替わる。

これら SE 類のシマヴォの語頭の子音はアルファベット順になっている。「第1場所転換」というシマヴォは存在しない。x1 の場所を x1 自体と入れ替えたところで、 PS は変わらないからだ。

「se klama」の PS は

 
       x1 は x2 が x3 から x4 を通って x5 を使って行く終点
「te klama」の PS は
 
       x1 は x2 へ x3 が x4 を通って x5 を使って行く起点
「ve klama」の PS は
 
       x1 は x2 へ x3 から x4 が x5 を使って行く経路
「xe klama」の PS は
 
       x1 は x2 へ x3 から x4 を通って x5 が行く手段
となる。どの場合にも PS が x1 から x5 の順番に並ぶように書いた。

以下の2つの例を比べてみよう。

 
4.1)   la bastn. cu se klama mi
       ボストンは私の行き先だ。
 
4.2)   fe la bastn. cu klama fa mi
       ボストンへ行く、私は。
例 4.1例 4.2 は、話し手が行く者、ボストンが終点となる関係を表しているという点では、同じ意味になる。しかし構造上は全く違う。例 4.1 では「la bastn.」がセルブリ「se klama」の x1 の場所に入り、「mi」が x2 の場所に入っている。場所が出現する順序は、標準ブリディ形での順序に従っている。一方、例 4.2では「mi」がセルブリ「klama」の x1 の場所に入り、「la bastn.」が x2 の場所に入っている。場所が出現する順序は、標準ブリディ形ではない。

転換の一番重要な使い道は、描写スムティを構成することにある。描写スムティはセルマホ LA や LE のシマヴォ(描写型の冠詞)で始まるスムティで、構成要素としてセルブリを1つ含んでいる。この章にも、すでに「le dargu」「le karce」という描写スムティが出てきた。 さらに以下のものも描写スムティである。

 
4.3)   le klama
       行く者
どの描写スムティでも、そのセルブリの x1 に入るものを描写している。終点(つまり「klama」の x2 の場所に入るもの)の描写スムティを作るためには、セルブリを「se klama」に転換しなければならない。こうすれば、このセルブリの x1 の場所が終点を表すことになる。
 
4.4)   le se klama
       行き先
他の3つの転換描写スムティも同じ方法で構成される。
 
4.5)   le te klama
       出発地点
 
4.6)   le ve klama
       移動経路
 
4.7)   le xe klama
       移動手段
例 4.6 は単なる「経路」ではない。「経路」という意味の描写スムティは、別のセルブリを使って「le pluta」となる。例 4.6 は「klama」という行為のために、行為者によって使われる経路を表している。つまり、起点と終点を伴う行程で 使う経路だ。火星の表面にある「道」は「le pluta」と言うことはできるだろうが、だれも通ったことがないから「le ve klama」とは言えない。「le ve klama be fo da(誰かの行程で実際に使う経路)」の「誰か」に相当する者が存在しないからだ。

転換したいセルブリが1個のブリヴラだけではなくて、もっと複雑な形をしている場合、 SE シマヴォの係る範囲は後続のブリヴラ(あるいはそれと同等の構成単位)だけである。タンル全体を転換するには、タンルを「ke ... ke'e」で挟まなければいけない。

 
4.8)   mi se ke blanu zdani [ke'e] ti
「blanu zdani (青い家)」の PS は、1節に書いた規則に従って、「zdani」の PS と同じだ。
 
       zdani: x1はx2の(ための)巣/家/ねぐら/アジト
だから「se ke blanu zdani [ke'e]の PS は以下のようになる。
 
       x1 は青い巣/家/ねぐら/アジト x2 に住む者
従って、例 4.8 の意味は以下のようになる。
 
       私は、これという青い家に住む者だ。

タンルの一部分だけ転換した場合の細かい効果については 5章で説明した。

# もし se blanu zdani とすると、 blanu に se が係ることになり、 blanu には x1 しかないから意味がない。
# se klama zdani の場合は、 klama に se が係るが、「行き先的な家」となるわけではない。 se klama が tanru の中で使われるとき、 PS は消えているからである。
# ti se klama zdani と ti klama zdani との間で、 PS の違いはない。 zdani の「意味」(どういう家か)に関して klama と se klama の違いが出てくる。しかし、 ti se klama zdani と言ったとき、 ti が klama に対してどういう役割を持つかについては、何も言っていない。
# 同様に、 klama zdani と nu klama kei zdani との間に、 PS の違いは無い。感覚的な意味(印象)の違いはある。
# タンルの意味が曖昧である以上、意味の違いを判断する明確な根拠は無い。意味の違いをはっきりさせるためには、論理接続詞を使う。ただし、 nu klama kei je zdani とすると、nu klama kei の x1 としては「事」を取り、且つ zdani の x1 として「物」を取るので、 x1 を両方の意味で取ることができなくなる。
# selkla のようなルジヴォには、「目的地」という意味を明確に持たせることができる。しかしこれを使ってタンルを作り、 ti selkla zdani とすると、ti が目的地であるかどうかについての論理的な判断材料が無い。 ti は「目的地である家」という解釈だけでなく、「目的地に向かう家」([ハウルの動く城」的な)という解釈もあり得る。

1個のセルブリに SE 類を何度も使って転換しても良い。この場合、後続する方の(内部)転換が、先行する方の(外部)転換より先に適用される。例えば、「se te klama」の PS は、まず te によって「klama」の x1 と x3 を転換し、さらに「te klama」の x1 と x2 の場所を転換することによって、以下のようになる。

 
       x1 は、 x2 を起点として x3 が行く、 x4 を通って x5 を使った行程の終点
一方「te se klama」の PS は、まず se によって「klama」の x1 と x2 を転換し、さらに「se klama」の x1 と x3 を転換することによって、以下のようになる。
 
       x1 は、 x2 が行く、 x3 へ x4 を通って x5 を使った行程の起点
このように、 te と se の出現順序が違うと、意味も異なる。しかし、実際にはこのような転換の合成は必要ない。場所の出現順を好きなように入れ替えるには、 FA タグを使う方がはるかに簡単でわかりやすいし、描写スムティを作るには単一の転換だけしか必要ないのだから。

(だれも実際に転換の合成を使ったことはないけれども、以下のことは知っておいても損はないかもしれない。「setese」という転換の合成では、1番目と3番目に同一のシマヴォが使われている。この形の転換の合成は、 PS の中の2つの場所だけを、ほかの場所を動かすことなく転換する。「setese」(「tesete」でも同じ)は x2 と x3 の場所を転換するし、「texete」(「xetexe」でも同じ)は x3 と x5 の場所を転換する。)

5. 法制場所: FIhO, FEhU

この節では以下のシマヴォが議論される。

 
     fi'o    FIhO                法制場所接頭辞
     fe'u    FEhU                法制終端詞

ロジバンの中で設計された PS は、実際に話す際に、必要な場所と一致しないことがある。例えば「viska」というギスムの PS は以下のようになっている。

 
       viska: x1 は x2 を条件 x3 のもとに見る
「見る」ということは、見る者(le viska)、見る対象(le se viska)、見ることを可能にする環境(le te viska)という3者の関係である。「見る」ということは、もちろん目を使って行われる。一般に、目全体は x1 の場所に入るものに属している。

しかし、仮にあなたの片目が見えないとして、それを知らない人に話しかけるとしよう。あなたは「私は左目であなたを見る」と言いたいかもしれない。しかし「viska」の PS には「目 x4 を使って」というような場所が無い。ロジバンでは、新しい場所を追加して、4者の関係に変えることによって、この問題を解決することができる。

 
5.1)   mi viska do fi'o kanla [fe'u] le zunle
       私はあなたを左目で見る。
3つの場所の関係だった「viska」が、見るための目を指定するという第4の場所を獲得した。セルマホ FIhO のシマヴォ「fi'o」と、それに続くセルブリ(ここではギスム「kanla」)との組み合わせが、新設された場所に入るスムティ「le zunle」に付くタグとなる。「fi'o kanla le zunle」は、意味論としては「le zunle が kanla の x1 の場所に入る」という形になる。「kanla」の PS は
 
       kanla: x1 は x2 (本体)の目
となっているから、「le zunle」は目となる。「kanla」の x2 は特定されていないので、文脈から推測しなければならない。「le zunle」は、「fi'o kanla」の後に置かれていても、意味論的には「kanla」の x1 に入るということをお忘れなく。 「fi'o」を冠したセルブリは、セルマホ FEhU の「fe'u」で終わるが、これは省略可能な終端詞で、ほとんどの場合不要である。ただし、このタグの後に非論理結合が出てくる場合は、 fe'u が無いと、この結合がタグ内のセルブリに係ってしまう。

こうして追加される場所は「法制場所 (modal place)」と言って、もともと用意されている番号付きの場所と区別される。 (「法制 (modal)」という語をこのような形で使うのは、ログラン計画に特有の使い方で、論理学や言語学での標準的な使い方と異なる。しかし、この使い方がすっかり確立してしまったので、いまさら変更するのは難しい。) 法制場所のしるしを付ける「fi'o」構造を「法制タグ」と言い、後続のスムティを「法制スムティ」と言う。それぞれをロジバンに訳すと「sumti tcita」と「seltcita sumti」となる。法制スムティはブリディ内のどこに置いても良いし、どの順序で置いても良い。法制スムティは、タグの無いスムティを番号付きの場所に割り当てるための規則に影響を与えることはない。

# 原文には「for assigning unmarked bridi to numbered places」と書いてあるが、たぶん「for assigning unmarked sumti to numbered places」の間違いだろう。
法制スムティに FA シマヴォを付けてはいけない。

再度例 5.1について考えよう。この状況を表す別の方法として、話し手の左目を見るための道具とみなす方法がある。この場合、適切なセルブリは「pilno」になる。その PS は以下のようになっている。

 
       pilno: x1 は x2 (道具/機械/者)を x3 (目的)のために使う
これを使うと、例 5.1 は以下のように書き換えられる。
 
5.2)   mi viska do fi'o se pilno le zunle kanla
       私は左目を使ってあなたを見る。

この例で、法制タグの中で使われるセルブリは「se pilno」だ。法制スムティが入れるのは、法制タグ内のセルブリの x1 だけだから、「道具」が入る場所を x1 にするために、「pilno」の転換が必要だ。「道具の使用者」の場所は「se pilno」の x2 であり、これに入るスムティは不特定のままだ。「fi'o pilno」という法制タグなら「~を使用者として」という意味になり、道具が不特定のままになるだろう。

# fi'o...fe'u の間に入るのはセルブリであり、ブリディは入らないので、 fi'o se pilno mi fe'u × のような形にはできない。 se pilno mi の意味を持つ PS を付け加えたい場合は、 be を使って fi'o se pilno be mi fe'u le zunle kanla とする。 mi viska do fi'o nu mi pilno le zunle kanla kei fe'u lo fasnu のように nu...kei によって bridi を selbri 化してから fi'o...fe'u の間に入れることもできる。これは fau lo nu...kei fe'u とほぼ同じ意味になる。
# fi'o nu janli lo prenu kei fe'u lo snuti mi klama と fi'o snuti fe'u lo nu janli lo prenu kei mi klama は構造が違うが、同じことを表している。

6. 法制タグ: BAI

セルブリの中には、法制タグを作っておくと特に便利そうなものもある。「pilno」はそういうセルブリのひとつだ。「pilno」の PS は以下のようになっている。

 
       pilno: x1 は x2 (道具/機械/者)を x3 (目的)のために使う
行動を表すセルブリのほとんどは、道具を指定する必要があるだろう。そんなとき、毎回「fi'o se pilno」と言わなければならないと、ロジバン文はやたら冗長になり、ひどく使いにくい。これを避けるために言語設計の中で略語が与えられている。それが合成シマヴォ「sepi'o」だ。

この「se」は、ブリヴラの前ではなく、シマヴォ「pi'o」の前に置かれている。このシマヴォはセルマホ BAI の一員だ。意味は「fi'o pilno fe'u」の意味と全く同じである。今必要なタグは、「pilno」ではなく「se pilno」に基づくタグ(つまり、使用者ではなく道具を指定するタグ)なので、文法上、 BAI シマヴォを SE シマヴォで転換させることが認められている。こうして、例 5.2 を以下のように書き換えることができる。

 
6.1)   mi viska do sepi'o le zunle kanla
       私は左目を使ってあなたを見る。
合成シマヴォ「sepi'o」は「fi'o se pilno [fe'u]」よりずっと短く、「~を使って」という意味を持つひとつの単語とみなすことができる。「se」の付かない法制タグ「pi'o」も同様に「~を使用者として」という意味に使えるが、おそらく「sepi'o」ほど便利な概念ではないだろう。 それでも、「pilno」の PS との並行性があるので、この語を追加した意味はある。

BAI cmavo の中には、 SE シマヴォが付いても付かなくても有意義なものがある。例えば「ka'a」はギスム「klama」に対応する BAI で、5つの使いやすい形があり、それぞれ「klama」の5つの場所のうちの1つに対応する。

 
       ka'a        ~を行く者として
       seka'a      ~を行き先として
       teka'a      ~を出発地点として
       veka'a      ~を移動経路として
       xeka'a      ~を移動手段として
これらのタグは皆、ブリディに法制場所を与えるために、以下のようにして使われる。
 
6.2)   la .eivn. cu vecnu loi flira cinta ka'a mi
       私はエイボンの化粧品訪問販売員だ。
例 6.2 は幾分無理があるかもしれないが、ここに存在するセルブリ「vecnu」に全く関係なさそうな場所さえ追加できることを示している。)
 
6.3)   mi cadzu seka'a la bratfyd.
       私はブラッドフォードへ向かって歩く。
 
6.4)   bloti teka'a la nu,IORK.
       ニューヨークから来たボートだ!
 
6.5)   do bajra veka'a lo djine
       あなたは円形の経路を走る。
 
6.6)   mi citka xeka'a le vinji
       私は飛行機に乗って食べる。
セルマホ BAI には60余りのシマヴォがあり、いろんな場面で役立ちそうな、選ばれたギスムを元にして作られている。 BAI のリストに挙げられたシマヴォは、英語の前置詞やその合成語に対応するように作られているので、いくらか英語に偏っている。しかし BAI シマヴォの意味は、対応するギスムの PS によって固定されているので、英語の前置詞よりもはるかに正確である。

BAI シマヴォは必ず CV'V か CVV のどちらかの形になっている。ほとんどは CV'V で、 C は 対応するギスムの語頭の子音であり、2つの V はそのギスムの母音から取っている。16節の表には、この規則の例外が挙げてある。

もう1つ、ギスムからの派生ではない、「do'e」という BAI シマヴォがある。このシマヴォは、「場所の追加が必要だけれども、その場所が含む意味を曖昧にしておきたい」という場合に使われる。

# do'e は FA 類の fai に対応する BAI である。 fai は不特定番目のテルブリを作る。 klama do'e lo karce と klama fai lo karce は文法的な構造が異なるが、意味は同じになる。
# do'e は、不特定セルブリ co'e を使って fi'o co'e と書き換えることができる。

 
6.7)   lo nanmu be do'e le berti cu klama le tcadu
       北の男が街に来る。
ここに出てくる「le berti」はセルブリ「nanmu」の法制場所として与えられているが、その正確な意味は曖昧にされている。これに沿った訳としては、曖昧な意味を持つ日本語の助詞「の」がぴったりだ。 例 6.7 は「be」でセルブリに繋げられた法制場所も示している。この構造は、描写スムティの中のセルブリに法制場所を付ける必要があるときに役立つ。こういった「be」の用法は5章で説明した。

7. 法制文接続: 因果関係

この節では以下のシマヴォが議論される。

 
     ri'a    BAI                 rinka 法制:物理的原因
     ki'u    BAI                 krinu 法制:理由
     mu'i    BAI                 mukti 法制:動機
     ni'i    BAI                 nibli 法制:論理的前提

この節には2つの目的がある。1つは「法制文接続」という文法構造を説明すること、もう1つは「因果関係」という便利な BAI シマヴォの例を挙げることだ。(他にも因果関係を表す BAI シマヴォがある。「ja'e」は「~を結果として」という意味であり、「seja'e」は「~を不特定の性質の原因として」という意味になる。同様に、「gau」は「~を行為者として」という意味であり、「tezu'e」は「~を目的として」という意味だ。しかし、この節の目的は因果関係のロジバン的観点ではなく、法制文接続を説明することだから、これらの法制シマヴォはここでは議論しない。)

ロジバンには因果関係を表すギスムが4個ある。一口に因果関係と言うが、ロジバンでは4種類の異なる関係を区別しているのだ。

 
       rinka: 事 x1 は事 x2 の物理的原因
       krinu: 事 x1 は事 x2 の理由
       mukti: 事 x1 は事 x2 の動機
       nibli: 事 x1 は事 x2 の論理的前提
これらのギスムそれぞれに関連する法制がある。それぞれ「ri'a」、「ki'u」、「mu'i」、「ni'i」となる。これらのギスムと法制を使って、いろいろな意味を持つ因果関係を表す文を作ることができる。
 
7.1)   le spati cu banro ri'a le nu do djacu dunda fi le spati
       あなたが植物に水やりするから(物理的原因)、植物が育つ。
 
7.2)   la djan. cpacu le pamoi se jinga ki'u le nu la djan. jinga
       ジョンが勝つから(理由)、ジョンが1位を獲得する。
 
7.3)   mi lebna le cukta mu'i le nu mi viska le cukta
       私は本を見たから(動機)、本を取る。
# rinka と mukti では x1 が x2 より時間的に先行するので、これらのギスムに対応する ri'a や mu'i で作られる法制の中の事象は、ブリディの事象に先行する。時間的に後に起こる事象を目的とするときは、 mu'i ではなく tezu'e を使う。
 
7.4)   la sokrates. morsi binxo ni'i le nu la sokrates. remna
       ソクラテスは人間だから(論理的前提)、ソクラテスは死ぬ。
# この文が真であるためには「全ての人間は死ぬ」という論理的前提も必要。
例 7.1 から 例 7.4は、どれも因果関係を表しているが、因果関係のタイプが全く違う。例 7.1に着目して、その変形を調べてみよう。

例 7.1 では、文字通り植物が生長することを主張している。ただし、聞き手がその植物に水やりすることは、単に抽象ブリディとして参照しているだけで、水やり自体の真偽は主張していない(抽象ブリディについては11章で説明する)。私が例 7.1のように表現するとき、植物が実際に育つことは言っているが、あなたが実際に植物に水やりしたかどうかについては何も言っていない。水やりすることと育つことの間に因果関係があることを主張しているだけだ。因果関係は意味論的に非対称だ。もし、植物の水やりの方を主張し、生長の方は単なる付随的な情報として言及したい場合は、例 7.1 の主ブリディと抽象ブリディを逆にすれば良い。

 
7.5)   do djacu dunda fi le spati seri'a le nu ri banro
       あなたは植物に水やりするから、植物が育つ(物理的結果)。
このように、「ri'a」の代わりに「seri'a」が使われる。さらに、原因と結果が意味論的に対称になる形を作ることもできる。
 
7.6)   le nu do djacu dunda fi le spati cu rinka
             le nu le spati cu banro
       あなたが植物に水やりするならば、植物が育つ。
例 7.6は水やりすることも育つことも主張せず、この2つのことに因果関係が成り立つことだけを主張している。つまり例 7.6 では、植物が育つとも言っていないし、あなたが水やりするとも言っていない。ここで、 rinka で結ばれる因果関係を「ならば」という日本語で表したが、この「ならば」は14章で説明する論理結合の「ならば」とは全く異なる。

水やりすることと植物が育つことを両方とも真であると主張した上で、これらの間に因果関係が成り立つことも主張したい場合はどうするか?その方法は2つある。

 
7.7)   le spati cu banro .iri'abo do djacu dunda fi le spati
       植物が育つ。あなたが植物に水やりするから(原因)。
 
7.8)   do djacu dunda fi le spati .iseri'abo le spati cu banro
       あなたが植物に水やりする。だから、植物が育つ(結果)。
合成シマヴォ「.iri'abo」と「.iseri'abo」は、「.i」で始まることからわかるように、2つのブリディを繋げる役目を果たしている。語尾の「bo」は、この法制が後続のスムティに係らないようにするために必要だ。もし例 7.7 の「bo」が無いと、以下のようになる。
 
7.9)   le spati cu banro .i ri'a do djacu dunda fi le spati
       植物が育つ。あなたを原因として、(だれかが)植物に水やりする。

例 7.9では「ri'a do」が法制スムティなので「djacu dunda」の x1 の場所が明示されていない。だから、例 7.7 と違う訳になる。

例 7.7例 7.8 のような文では、「ri'a」などの法制が、文中に現れるスムティを限定しない。この法制が係る対象は、後続のブリディ全体が表す事象だが、スムティとして明示されていない。 さらにこの法制が与えるもう1つの意味として、法制に先行するブリディが表す事象は、この法制に対応するギスムの x2 の場所に入っている。例 7.7 について言えば、先行ブリディ「le spati cu banro」が表す事象が、「rinka」の x2 の場所に入っている。 つまり、この法制によって、先行ブリディが「結果」と指定される。 だから例 7.7 は、「植物が育つ」「あなたが植物に水やりする」「この2つの事象に因果関係がある」という3つのことを主張している。

# セルブリに法制や間制のタグが付いたものを、タグ・セルブリ(TAG SELBRI)と言う。 ri'a dunda は dunda に法制タグ ri'a が付いているので、タグ・セルブリだ。タグ・セルブリは、 lo などを冠してスムティ化できる: lo ri'a dunda 。
# セルブリがタンルであれば、 タグ・セルブリは タンル全体に係る: ri'a [djacu dunda] 。 タグがタンルの構成単位に係るようにするには、 jai を使う方法がある( jai については第12節を参照): [jai ba'o se cliva] zdadi'u ("去られた"的家≒空き家; ba'o は間制の一種となっている相制タグ)。 jai ba'o se cliva の部分では、 jai ba'o によって se cliva の x1 が消され、 mulcabna ( ba'o に対応するブリヴラ)の x1 がこの部分の x1 となるが、この部分はセルタウ( seltau タンルの中の、他を修飾している部分、デフォルトの順序で先行する)なので zdadi'u を修飾する意味合いは漠然としている。 一方、 jai の付く部分がテルタウ(tertau タンルの中の被修飾部分、デフォルトの順序では最後にくる)になっている場合は、セルブリ全体の x1 が jai によって変更されてしまう。タンルの構成単位にタグを付けても x1 を変更したくない場合のために、 JAI 類の試験的シマヴォ jo'ai が提案されている: citno jo'ai ba'o jatna ("若い"的前首脳≒若い前首脳)。
# 名辞 (term) :スムティ、あるいは、スムティに間制や法制のタグがついたもの。項と呼ぶこともある。

原則としてどんな法制タグでも、例 7.7例 7.8 に挙げたような形の文接続に使うことができる。 しかし、法制に対応するギスムの PS の場所に入るべきものが、事象などの抽象ではない場合は、このような文接続に使ってもあまり意味が無い。「.ibaubo」という文接続は文法的に正しいが、「~語で」という法制で接続できるような2つの文を想像するのは難しい。文というのは事象を描写するものであり、事象は原因や結果にはなり得るけれども、言語にはなり得ないからだ。

# # mi klama fu lo karce と mi klama xeka'a lo karce は同じ意味になるが、法制タグ xeka'a を使う方が感覚的にはわかりやすいかもしれない。

8. 他の法制接続

文の法制接続にも前置型と後置型がある。(ロジバンの接続表現については14章で詳しく議論する。) 7節の例で出てきたのは後置型法制接続だけだ。ここでは後置型として以下の例を見よう。

 
8.1)   mi jgari lei djacu .iri'abo mi jgari le kabri
       私は水をつかむ。私はコップをつかむから(原因)。
後置接続とは、接続される2つの構造の間に置かれる、シマヴォ(あるいは合成シマヴォ)1個によって示される接続だ。一方、前置接続は、1つめの構造の前に置かれるシマヴォ1個と、1つめの構造と2つめの構造の間に置かれるシマヴォ1個との組によって、示される。

ロジバンで前置法制文接続を作るには、法制+「gi」を1つめのブリディの前に置き、2つのブリディの間には「gi」を置く。この構造の中では「.i」を使わない。例 8.1と同等な前置接続は以下のようになる。

 
8.2)   ri'agi mi jgari le kabri gi mi jgari lei djacu
       私はコップをつかむから(原因)、私は水をつかむ。
例 8.1と違って、「rinka」の x1 に入る「原因」が先に置かれている。2つのブリディの出現順が例 8.1と同じになるようにしたければ、以下のようにしてできる。
 
8.3)   seri'agi mi jgari lei djacu gi mi jgari le kabri
       私は水をつかむ(結果)、私はコップをつかむから。
ロジバンではこのように、「seri'agi」を「ri'agi」と同じ方法で使うことができる。

法制接続でつながる2つのブリディに共通の構成要素(セルブリやスムティ)があるときは、法制文接続の形を簡略化する方法がいくつかある。

例8.1 から 8.3 のように、2つの文で異なる要素がスムティ1個だけである場合は、法制文接続の代わりにスムティの法制接続を使っても良い。

 
8.4)   mi jgari ri'agi le kabri gi lei djacu
       私はつかむ、コップを(原因)、だから水を。
例 8.4 の意味は 例 8.1 から 8.3 までの意味と全く同じだ。

接続された2つのブリディで異なる要素が複数のスムティである場合は、「名辞組 (termset)」というものが使われる。
名辞組については14章で詳しく説明するが、基本的な考え方としては、いくつかのスムティを同時に接続するための仕組みだ。

 
8.5)   mi dunda le cukta la djan. .imu'ibo la djan. dunda lei jdini mi
       私は本をジョンに与える。ジョンがお金を私に与えたから(動機)。
この文は、以下の文と同じ意味だ。
# 実のところ、例 8.6 では原因と結果が例 8.5 と逆になっているので、同じ意味ではない。同じ意味の文にするなら、例 8.6 は「nu'i mu'igi la djan. lei jdini mi gi mi le cukta la djan. nu'u dunda」あるいは「nu'i semu'igi mi le cukta la djan. gi la djan. lei jdini mi nu'u dunda」のはずだろう。
 
8.6)   nu'i mu'igi mi le cukta la djan. gi la djan. lei jdini mi nu'u dunda
       [私が本をジョンに]だから(動機)、[ジョンがお金を私に]与える。
この例では、2つのブリディに共通の構成要素はセルブリ1個のみだから、 「nu'i」「nu'u」で挟まれた名辞組の前半(mu'igi から gi まで)と後半(gi の後)にスムティが3個ずつ含まれている。

セルブリをつなぐ法制接続というものは無い。2つのブリディでセルブリだけが異なる場合、「ブリディ末端法制接続 (bridi-tail modal connection)」を使って法制接続できる。ブリディ末端構造については14章で詳しく説明するが、基本的な考え方としては、セルブリと、それに後続する付随的なスムティの組である。 例 7.3 はブリディ末端接続の説明にちょうど良い。この例は以下のように簡略化できる。

 
8.7)   mi mu'igi viska le cukta gi lebna le cukta
       私は[本を見た](動機)、だから[本を取る]。
例 8.7 をさらに簡略化することもできる。
 
8.8)   mi mu'igi viska gi lebna vau le cukta
       私は[見た](動機)、だから[取る]、本を。
この例では「le cukta」が「vau」によって接続の外に追い出されている。この「vau」は省略できない。「le cukta」は「viska」と「lebna」両方のブリディ末端に属している。詳しい説明は 14章にある。

本章はスムティの並べ替えについて説明しているので、例 8.8 がさらに以下のように並べ替えられることは言及に値する。

 
8.9)   mi le cukta mu'igi viska gi lebna
       私は本を「見た」(動機)、だから「取る」。
こうすると「vau」を入れる必要がなくなる。ブリディ末端接続より前にあるスムティはすべて、両方のブリディに共有される。

最後に、数学的演算対象も法制接続できることを見よう。

 
8.10)  li ny. du li vo
             .ini'ibo li ny. du li re su'i re
       数 n = 数 4
             なぜなら、数 n = 数 2 + 2 (論理的前提)
これは以下のように簡略化できる。
 
8.11)  li ny. du li ni'igi vei re su'i re [ve'o] gi vo
       数 n = 数 ( 2 + 2 ) だから(論理的前提)、 4
シマヴォ「vei」と「ve'o」は数学の括弧を表す。この括弧は「ni'igi」が直後の数学的演算対象「re」だけでなく「re su'i re」に係るようにするために必要だ。閉じ括弧「ve'o」は省略可能な終端詞である。

ロジバン解析アルゴリズムの制約から、「fi'o+セルブリ」の形の法制を使って法制接続を形成することはできない。あらかじめ定義されているセルマホ BAI の法制だけが、7節8節で見てきたような接続を形成することができる。

9. 法制セルブリ

以下の例を考えよう。

 
9.1)   mi tavla bau la lojban. bai tu'a la frank.
       私は話す、ロジバンで、フランクに強いられて。

# この文では、何を強いられたかは不明である。これを明示するには sebai lo nu la lojban. bangu を付け加えるか、あるいは、 bai tu'a la frank. を pe で繋いで特定のスムティに掛ける: bau la lojban. pe bai tu'a la frank.

例 9.1 には法制スムティが2個ある。それぞれ法制「bau」と「bai」を使っている。仮に、言語については明示したいけれども、誰に強いられたのかは言いたくないとしよう。その場合は単に例 9.1 を以下のように変えれば良い。
 
9.2)   mi tavla bau la lojban. bai [ku].
       私は話す、ロジバンで、強いられて。
例 9.2では、「bai」の後のスムティが来るはずの場所に、省略可能な終端詞「ku」が来ている。反対に、強いる者を明示したいけれども、何語であるか言いたくない場合には、以下のようにする。
 
9.3)   mi tavla bau [ku] bai tu'a la frank.
       私は話す、何らかの言語で、フランクに強いられて。
「法制+ku」をブリディの中の他の位置に移動しても良い。
 
9.4)   bau [ku] bai ku mi tavla
       何らかの言語で、強いられて、私は話す。
「ku」を使う代わりに、法制シマヴォを、「cu」の後に来るセルブリの直前に置く方法もある。法制がここにあるときは、「cu」はほとんど全く必要ない。
# 法制+セルブリの前に cu が必要になる場合:
# 本来の公式文法では lo nu broda bai brode の bai は 先行する nu 節に取り込まれ、 後続の brode に係らない。この bai が brode に係るようにするには cu が必要である: lo nu broda cu bai brode 。しかし、後に BPFK で議論された結果、この cu を省略しても bai が brode に係るように、文法が変更された。
 
9.5)   mi bai tavla bau la lojban.
       私はロジバンで強いられて話す。
この使い方の法制は、意味論的にはタンル限定詞に似ているが、文法的には全く違うものだ。例 9.5 は、意味上は、以下のブリディとそっくりだ。
 
9.6)   mi se bapli tavla bau la lojban.
       私は強いられて話す、ロジバンで。
ここでは「se」による転換が必要だ。もし「bapli tavla」だけだと、「bai tavla」が表すような「(誰かに)強いられる話し手」ではなく、「強いる話し手」 というような意味になってしまう。
# 実際には、 se bapli tavla はタンルなので、 se bapli tavla と bapli tavla の PS は同じ。これらの間には、感覚的な違いだけしかない。意味の違いを明確にしたい場合は、例 9.5 のように、法制セルブリを使う。

セルブリに先行する法制が「fi'o」で構成される場合は、主セルブリと法制セルブリがくっつかないように、「fe'u」が必要になる。

 
9.7)   mi fi'o kanla fe'u viska do
       私は目で見る、あなたを。
法制の使い方は、あと2つある。2つのブリディ末端が、すでに論理接続や非論理接続や法制接続でつながっていても、さらに法制を付けることができる(論理接続と非論理接続については14章に書いてある)。
 
9.8)   mi bai ke ge klama le zarci gi cadzu le bisli [ke'e]
       私は強いられて[市場へ行き、氷の上を歩く]。
この「bai」は「klama le zarci」と「cadzu le bisli」の両方に係っていて、「ge ... gi」はこの2つのブリディ末端をつなぐ論理接続を表す。

同様に、「tu'e」と「tu'u」でつながった複数の文に法制を付けることもできる。「tu'e」と「tu'u」については19章で詳しく説明する。

 
9.9)   bai tu'e mi klama le zarci .i mi cadzu le bisli [tu'u]
       強いられて[発話グループ開始]私は市場へ行く。私は氷の上を歩く。[発話グループ終了]
この例は 例 9.8と同じ意味になる。

注: BAI 法制も「fi'o+セルブリ」法制も、この節で議論する構造の中では正しく使うことができる。

# 法制セルブリをギスムの PS の代わりに使うことができる。例えば ta'i (~を方法/手段として/~式に: tadji)は、いろんなブリディで使える。だから、法制セルブリを覚える方が、 PS を覚えるよりも効果的か?
# PS の長所は、関連した概念を1つのギスムから引き出せること。

10. 法制関係句:比較

この節では以下のシマヴォが議論される。

 
     pe      GOI                 限定関係句 (restrictive relative phrase)
     ne      GOI                 付随関係句 (incidental relative phrase)
     mau     BAI                 zmadu 法制
     me'a    BAI                 mleca 法制

関係句と関係節については、8章でもっと詳しく説明している。しかし、法制を関係句とくっつける構造というものがあり、それは本章で扱うのが適切だ。以下のような関係節の例を考えよう。

 
10.1)  la .apasionatas. poi se cusku la .artr. rubnstain. cu se nelci mi
       アルトゥール・ルービンシュタインが演奏する「熱情」を私は好む。
 
10.2)  la .apasionatas. noi se finti la betovn. cu se nelci mi
       「熱情」、ベートーベンが作ったが、それを私は好む。
 
# ドイツ語の発音に近づけるなら la betofn. となる。

例 10.1では、「la .apasionatas.」がこのソナタの特定の演奏、つまり、ルービンシュタインが弾く「熱情」を指す。したがって、関係節「poi se cusku」はシマヴォ「poi」(セルマホ NOI の1つ)を使って「la .apasionatas」の意味を当の演奏に限定する。

しかし例 10.2では、「la .apasionatas.」がこのソナタ全体を指し、「ベートーベンが作った」ということは付随的情報に過ぎない。シマヴォ「noi」(これもセルマホ NOI の1つ)は、2つの節の関係が付随的な性質であるということを表している。

シマヴォ「pe」と「ne」(セルマホ GOI)は、それぞれ「poi」と「noi」とだいたい同じ意味だが、これらの後に来るのは、ブリディ全体ではなくスムティである。例 10.1例 10.2 は、以下のように略すことができる。

 
10.3)  la .apasionatas pe la .artr. rubnstain. se nelci mi
       アルトゥール・ルービンシュタインの「熱情」を私は好む。
 
10.4)  la .apasionatas ne la betovn. se nelci mi
       「熱情」、ベートーベンのだが、それを私は好む。
これらの例では、関係節の中の正確なセルブリが無くなっている。聞き手に分かるのは、「情熱」が何らかの形でルービンシュタインに関係し(例 10.3)、ベートーベンに関係している(例 10.4)ということ、そして関係がそれぞれ限定的と付随的であるということだ。

「cusku」と「finti」は両方とも BAI シマヴォがあり、それぞれ「cu'u」と「fi'e」だ。 これを使うと、 例 10.3例 10.4 は以下のように書き換えられる。

 
10.5)  la .apasionatas pe cu'u la .artr. rubnstain. cu se nelci mi
       アルトゥール・ルービンシュタインが演奏する「熱情」を私は好む。
 
10.6)  la .apasionatas ne fi'e la betovn. cu se nelci mi
       「熱情」、ベートーベンが作ったが、それを私は好む。
例 10.5例 10.6 の意味論的な内容は、それぞれ Example 10.1Example 10.2 と全く同じだ。

法制関係句は、 BAI シマヴォ「mau」「me'a」と一緒に使われることが多い。これらのシマヴォはそれぞれ、比較を表すギスム「zmadu」(より多く)「mleca」(より少なく)に基づいている。これらのギスムの PS は以下のようになっている。

 
       zmadu: x1 は x2 より x3 の性質や量に関して量 x4 だけ多い
       mleca: x1 は x2 より x3 の性質や量に関して量 x4 だけ少ない

これを使った例は以下のようなものだ。

 
10.7)  la frank. nelci la betis. ne semau la meiris.
       フランクはベティのことが好きだ、メアリのことよりも。
例 10.7 は、フランクがベティを好きであることを主張しているが、さらに、フランクがベティを好きな度合いが、フランクがメアリを好きな度合いを上回っているという情報を付け加えている。「zmadu」の x2 の場所が比較の基準であり、この例で比較の基準となるのは「フランクがメアリを好きであること」だから、法制は「semau」という形で現れる。
 
10.8)  la frank. nelci la meiris. ne seme'a la betis.
       フランクはメアリのことが好きだ、ベティのことほどではないが。
ここでは、フランクがメアリを好きであるが、その度合いが、フランクがベティを好きである度合いを下回ることを主張している。比較に関する情報は例 10.7と同じだ。例 10.7 は「semau」の代わりに「me'a」を使って書き換えられるし、例 10.8 は「seme'a」の代わりに「mau」を使って書き換えられるが、そんな使い方をすると、むやみに複雑になるだろう。ほかの BAI シマヴォについてもしばしば当てはまることだが、「mau」と「me'a」は「se」で転換した方が便利である。
# semau より mau で訳す方が自然な日本語の文はあまりない。

例 10.7例 10.8で、もし「ne」が無いと、法制スムティ(それぞれ「la meiris.」と「la betis」)はブリディ全体に係るので、全く違う訳になる。例えば、例 10.8 なら以下のように変わる。

 
10.9)  la frank. nelci la meiris. seme'a la betis.
       フランクはメアリのことが好きだ、ということがベティよりも少ない。
こうすると「好きである」という事象と「ベティ」という者とを比較することになり、無意味な文になる。

比較に関する情報だけを述べ、フランクが実際にメアリやベティを好きであるかどうかについては何も言いたくない(「両方嫌いだが、ベティの方がまし」という可能性もある)という、純粋な比較をしたいときは、以下のように、上記の例とは異なる表現になる。

 
10.10) le ni la frank. nelci la betis. cu zmadu
            le ni la frank. nelci la meiris.
       フランクがベティを好きである量は、フランクがメアリを好きである量より多い。
この節で説明している仕組みは「semau」と「seme'a」のほか、多くの法制に当てはまる。関係句で使われることが多い法制には、次のようなものがある: 「seba'i」(~の代わりに)、 「ci'u」(~を尺度として)、 「de'i」(~日に)、 「du'i」(~が同じくらい)。 BAI タグの中には、関係句の中でも、ブリディに係るものとしても、どちらでも良く使われるものがある。しかしいくつかの BAI タグは、ブリディに係るものとしてだけ有用であるように見える。しかし、特定の BAI 法制が役に立たなそうに見えるのは、民族語のバイアスによるものかもしれない。他の言語の観点から見れば、その BAI 法制が有用であるかもしれないのだ。

注:この節で議論された法制の使い方は、 BAI 法制にも「fi'o+セルブリ」法制にも適用できる。

11. 法制接続の混合

論理接続(14章で説明する)と法制の関係を一度に主張するという形で、この2つの接続を混ぜて使うこともできる。以下の文について考えよう。

 
11.1)  mi nelci do .ije mi nelci la djein.
       私はあなたのことが好きだ。そして、私はジェインのことが好きだ。
これは論理接続である。一方、以下の文は法制接続である。
 
11.2)  mi nelci do .iki'ubo mi nelci la djein.
       私はあなたのことが好きだ。なぜなら、私はジェインのことが好きだから(理由)。
例 11.1例 11.2の2つの合成シマヴォをさらにくっつけて、この2つの例文の意味を同時に表現することができる。
 
11.3)  mi nelci do .ijeki'ubo mi nelci la djein.
       私はあなたのことが好きだ。そして、なぜなら、私はジェインのことが好きだから(理由)。
この例では、2つの文「mi nelci do」と「mi nelci la djein.」が一度に主張され、これらの論理接続も主張され、これらの因果関係も主張されている。このような接続の混合では常に、論理接続「je」が法制接続「ki'u」の前に来る。

「mi nelci do」と「mi nelci la djein.」は最後のスムティが違うだけだから、例 11.3 をスムティ接続の混合の形に書き換えることができる。

 
11.4)  mi nelci do .eki'ubo la djein.
       私はあなたのことが、そして、その理由は、ジェインのことが、好きだ。
この接続が後置型であることに注意しよう。接続の混合は必ず後置型になる。前置接続では、論理接続と法制接続を混合することはできず、どちらか一方になる。

法制の情報を取り込むことができる後置型の論理接続や非論理接続は、他にもたくさんある。例えば、例 11.4 をブリディ末端接続の形の書き換えると、以下のようになる。

 
11.5)  mi nelci do gi'eki'ubo nelci la djein.
       私はあなたのことが好きであり、そして、なぜなら、ジェインのことが好きだから(理由)。
以下の3つの例は、全部同じ意味だ。
 
11.6)   mi bevri le dakli
             .ijeseri'abo tu'e mi bevri le gerku .ijadu'ibo mi bevri le mlatu [tu'u]
       私は鞄を運ぶ。
             そして、だから、[発話グループ開始]私は犬を運ぶ。あるいは、それと等しく、私は猫を運ぶ。[発話グループ終了](結果)
 
11.7)  mi bevri le dakli
             gi'eseri'ake bevri le gerku gi'adu'ibo bevri le mlatu [ke'e]
       私は鞄を運び、
             そして、だから、[犬を運び、あるいはそれと等しく、猫を運ぶ](結果)。
# bo の方が ke よりも強い結合なので、 gi'adu'ibo は gi'eseri'ake よりも優先して接続する。
 
 
11.8)  mi bevri le dakli
             .eseri'ake le gerku .adu'ibo le mlatu [ke'e]
       私は運ぶ、鞄を、
             そして、だから、犬を、あるいはそれと等しく、猫を(結果)。
# bo の方が ke よりも強い結合なので、 .adu'ibo は .eseri'ake よりも優先して接続する。
「ke ... ke'e」は1個の文を越える範囲では使えないから、例 11.6では「tu'e ... tu'u」に挟まれた発話グループが 例 11.7例 11.8の「ke ... ke'e」の代わりに使われる。例 11.6で、「.ijeseri'abo」の代わりに「.ije seri'a」を使うことも可能だ。ただしその場合、「tu'e ... tu'u」のかたまりが結果である一方、「mi bevri le dakli」を原因のかたまりとしてまとめておくことができない。法制では「tu'e ... tu'u」構造全体を変更するのは、文法的に正しい(間制でも同様。10章を参照)。

注:この節で議論した法制の使い方は BAI 法制にも「fi'o+セルブリ」法制にも適用できる。

12. 法制転換: JAI

この節では以下のシマヴォが議論される。

 
     jai     JAI                 法制転換
     fai     FA                  法制PSタグ

これまで、 SE によるブリディの番号付き場所の転換と、 BAI による法制場所の追加は、まったく別々の操作だった。しかし、2つの番号付き場所を入れ替えずに、法制場所を番号付き場所の中に作ってしまうという方法で、セルブリを転換することができる。例えば以下のようなものだ。

 
12.1)  mi cusku bau la lojban.
       私はロジバンで話す。
x1 の場所には明示的に「mi」が入り、「bau」の場所には明示的に「la lojban.」が入っている。この2つの場所を入れ替えるには、セルマホ JAI の「jai」からなる法制転換子を、法制シマヴォの前に付ける。すると、例 12.1の法制転換は以下のようになる。
 
12.2)  la lojban. jai bau cusku fai mi
       ロジバンで私は話す。
例 12.2では、法制の場所に入っていた「la lojban.」が、新しいセルブリ「jai bau cusku」の x1 の場所に入った。元の x1 の場所はどうなったのか? x1 は移動先が無いので、セルマホ FA のタグ「fai」が付いた、特別な「非番号の場所」に移動した。

注:場所の番号も使えるように、「fai」は「fi'a」同様、周りの場所の番号付けに影響を与えない。

# jai には PS の x1 の定義をいったん消す役割がある。その x1 の意味を再定義するために、 jai の後に BAI を加える。 jai の後には、法制だけでなく間制も置くことができる:
# 「lo zdani cu jai vi cusku」家は、表現の場所(講演会場など)。「cusku vi lo zdani」と同じ意味になる。

SE による転換と同様、 JAI 転換は特に描写スムティを作るときに便利だ。例えば「le jai bau cusku」とすれば「表現に使う言語」を指すことができる。

さらに、「jai」の後に法制を付けなくても文法的に正しい。この使い方は法制に関係ないが、「jai」の説明を完全なものにするためにここに書くだけだ。「jai」自体の効果は、「 x1 の場所を「fai」の場所に移動させることによって、本来の x1 の意味を抽象化すること」、そして、「抽象的な副ブリディに含まれるスムティの1つを、主ブリディの x1 の場所へ持ってくること」の2点である。こういう話は11章で、もっと詳しく議論される。以下の2つの例は同じ意味になる。

 
12.3)  le nu mi lebna le cukta cu se krinu le nu mi viska le cukta
       私が本を取ることは私が本を見ることの理由である。
 
12.4)  mi jai se krinu le nu mi viska le cukta kei
             [fai le nu mi lebna le cukta]
       私には理由がある、私が本を見ることの理由は、私が本を取ることだ。
例 12.4の [fai le nu mi lebna le cukta] を消すと、「私には理由がある」というような意味になりうる。しかし実際には「私に」ではなくて「私の行動に」理由があるのだ。この構造は曖昧だが、自然言語の言い回しを表現するのに役立つ。

注:この節で議論した法制の使い方は BAI 法制にも「fi'o+セルブリ」法制にも適用できる。

13. 法制否定

否定については15章で詳しく説明する。ロジバンには否定の形が2種類ある。矛盾否定 (contradictory negation) と段階否定 (scalar negation) だ。矛盾否定は、偽であることを言う。段階否定は、叙述の中の一部分を別の何かと入れ替えれば真になることを言う。単純な例としては、「ジョンはパリに行かなかった」が矛盾否定であり、「ジョンはパリではないところに行った」が段階否定だ。

BAI シマヴォにセルマホ NAI の「-nai」を付ければ矛盾否定になる。法制に「-nai」を付ける矛盾否定でよく使われるのは、因果関係の否定だ。

 
13.1)  mi nelci do mu'inai le nu do nelci mi
       私はあなたのことが好きだが、あなたが私を好きだからではない(動機の矛盾否定)。
例 13.1 は、「あなたが私を好きであること(その真偽は主張していない)」が「私があなたを好きであること(それが真であると主張)」の動機の1つであることを否定している。「あなたが私を好きである」ということの真偽については何も言っていない。単に、「あなたが私を好きだ」という仮説が「私があなたを好きだ」ということの動機ではないと主張しているだけだ。

段階否定はセルマホ NAhE (「na'e」など)を BAI シマヴォの語頭に付けるとできる。

 
13.2)  le spati cu banro na'emu'i le nu
             do djacu dunda fi le spati
       植物が育つが、それはあなたが植物に水やりすることを動機としてはいない。
例 13.2 は、「植物が育つ」ことと「あなたが植物に水やりする」こととの関係は動機ではないということを表す。植物が育つのは動機によるのではない。ふつう、植物というものは動機を持ったりしないのだ。例 13.2 では暗に、水やりと生長との間に他の関係が成り立つことを示唆しているが、どの関係であるかは言っていない(おそらく「ri'a」)。

注:「fi'o+セルブリ」型の法制を直接否定することはできないが、その中のセルブリ自体を矛盾否定や段階否定することはできる。

# fi'o na'e mukti = na'emu'i
# ja'e (~を結果として/〜となって: jalge)は se ri'a, se ki'u, se mu'i, se ni'i を総括した意味を与える。
# fau (~という事と共に/~をして: fasnu)は更に漠然と、相関を表す。

14. 貼り付く法制

この節では以下のシマヴォが議論される。

 
     ki      KI                  貼り付きフラグ (stickiness flag)

間制と同じように法制も、自分が入っているブリディから後続の全部のブリディまでに係るようにすることができる。この「貼り付き」の結果、法制は後続のスムティとともに、あたかも後続のブリディすべての中に同じ法制が現れているかのように振る舞う。法制の後(後続のスムティの後ではない)にセルマホ KI のシマヴォ「 ki 」を付けると、この法制が貼り付く。例えば、

 
14.1)  mi tavla bau la lojban. bai ki tu'a la frank.
            .ibabo mi tavla bau la gliban.
       私はロジバンで話す、フランクに強いられて。
            その後、私は英語で話す(フランクに強いられて)。
これは以下の例と同じ意味になる。
 
14.2)  mi tavla bau la lojban. bai tu'a la frank.
       .ibabo mi tavla bau la gliban.
             bai tu'a la frank.
       私はロジバンで話す、フランクに強いられて。
            その後、私は英語で話す、
                 フランクに強いられて。
例 14.1では、「bai」が貼り付けられ、「フランクによる強制」がそれ以後のすべてのブリディに適用される。一方、「bau」は貼り付きになっていないので、「~語で」という法制はブリディごとに違っても良い。この場合、これ以降のあるブリディ内で「~語で」ということが発言されていなければ、そのブリディが表す事象については何語が使われたか全くわからない。

「貼り付き」を解除するには、「BAI ki ku」という形を使う。こうすると、この BAI の法制の値が後続のブリディに受け継がれなくなる。複数の法制と間制の貼り付き(どちらの貼り付きにも「ki」が使われる)を全部一度に解除するには、「ki」を単独でセルブリの直前に置くか、「ki ku」の形でブリディ内のどこかに置く。

 
14.3)  mi ki tavla
       私は話す(強いるものや使用言語については何も含意しない)。
注:「fi'o+セルブリ」で作られる法制は「貼り付き」にできない。これは不幸にして避けられない制限だ。
# ki の「貼り付き」を解除しなければ、 ni'o が来るまで貼り付き続ける。

15. 法制の論理接続と非論理接続

論理接続と非論理接続については14章で詳しく述べる。本章の目的に沿って、ここでは、法制だけが異なる2つのブリディをつなぐ論理接続や非論理接続が、単一のブリディと法制間の接続という形に簡略化できることだけを指摘しよう。例 15.1例 15.2 は同じ意味になる。

 
15.1)  la frank. bajra seka'a le zdani .ije la frank. bajra teka'a le zdani
       フランクは走る、家へ。そして、フランクは走る、家から。
 
15.2)  la frank. bajra seka'a je teka'a le zdani
       フランクは走る、家 [へ]そして[から]。
どちらの例でも、単一の走る行為を指しているのか、2つの走る行為を指しているのかについては、何も言っていない。単一の行為を指すように言い換えるには、以下のような形を使えば良い。
 
15.3)  la frank. bajra seka'a le zdani ce'e teka'a le zdani
       フランクは走る、家へ、[名辞組]家から。
シマヴォ「ce'e」は2つの名辞から名辞組を作る(名辞組については14章16章で説明する)。1つの名辞組が、単一の BAI から派生する法制タグを複数含んでいる場合、これらのタグは共通の事象から派生しているとみなされる。

16. セルマホ BAI の CV'V シマヴォのうち、変則的な形をしたもの

セルマホ BAI には65個のシマヴォがあり、1つ(6節に出てきた「do'e」)を除いた残り64個は、選ばれたギスムから直接派生したものだ。これら64個のシマヴォのうち、36個は完全に規則的で、「CV'V」の形をしている。 C は元のギスムの語頭の子音で、2つの V はギスムの2つの母音である。それ以外の BAI シマヴォは、何らかの形で変則的だ。そういう不規則な BAI シマヴォを以下の表にまとめた。この表は、変則の仕方ごとに、さらに小さいグループに分けられている。いくつかのシマヴォは複数のグループに重複して入っているが、その場合は備考にそう書いてある。

 
   シマヴォ    ギスム        備考
 
     CVV 型単音節:
 
    bai     bapli
    bau     bangu
    cau     claxu
    fau     fasnu
    gau     gasnu
    kai     ckaji        ギスムの第2子音を使う
    mau     zmadu        ギスムの第2子音を使う
    koi     korbi
    rai     traji        ギスムの第2子音を使う
    sau     sarcu
    tai     tamsmi       ギスムではなく、ルジヴォから
    zau     zanru
 
     C としてギスムの第2子音を使う:
        (このギスムは必ず CCVCV 形である。)
 
    ga'a    zgana
    kai     ckaji        CVV 型単音節のグループ
    ki'i    ckini
    la'u    klani        2番目の V が変則的
    le'a    klesi        2番目の V が変則的
    mau     zmadu        CVV 型単音節のグループ
    me'e    cmene
    ra'a    srana
    ra'i    krasi
    rai     traji        CVV 型単音節のグループ
    ti'i    stidi
    tu'i    stuzi
 
    2番目の V が変則的:
 
    fi'e    finti
    la'u    klani        ギスムの第2子音を使う
    le'a    klesi        ギスムの第2子音を使う
    ma'e    marji
    mu'u    mupli
    ti'u    tcika
    va'o    vanbi
 
    Special cases:
 
    ri'i    lifri        ギスムの3番目の子音を使う
    tai     tamsmi       ギスムではなく、ルジヴォから
    va'u    xamgu        CV'V シマヴォが「x」で始まることができない
# 「x」で始まるシマヴォは実験用(4章)。

17. 全 BAI シマヴォ表、大雑把な日本語訳付き

以下の表はセルマホ BAI に属するすべてのシマヴォを示している。

元になるギスムの PS が BAI シマヴォの意味を左右することに注意しよう。シマヴォの意味の説明は参考までに書いただけで、法制タグの使用範囲として許される範囲を正確に表したものではない。

# ロジバン辞書に載っている転換型の意味を追加してある。追加したものに「#」を付けた。

シマヴォ元のギスム意味se 転換te, ve, xe 転換
ba'ibasti~が代わりとなって~の代わりに/~に替わって
baibapli~に強いられて~を強いて
baubangu~語で~(話者)の言語として# te=~を表す言語として
be'ibenji~から送られて~を送受信してte=~に送って; ve=~から送って; xe=~経由で送って
ca'icatni~の権限で~を管轄して# te=~を権力の根源として
cauclaxu~が欠いて~を欠いて/~無しで
ci'eciste~を体系として~が(体系/システム内の)関係構造となってte=~を(体系/システムの)構成要素として; # ve=~を(体系/システムの)相乗作用として
# veci'e には性質 ka が入る。ve ciste は「システムの性質」。システムの構成要素の性質の相乗作用が、システム全体の性質として現れる。
ci'ocinmo~が感じて~を感じて# te=~について感じて/~にたいする感情として
ci'uckilu~を尺度として~を計測して
cu'ucusku~が言って~を表現して/~と言ってte=~に言って/~を聞き手/読み手として; ve=~を表現媒体として
de'idetri~日に~(事)の日として# te=~(場所)における日として; # ve=~(暦)における日として
di'odiklo~を局所的なものとして~を局所として# te=~(範囲)内の局所として
do'e ----- 不特定法制
du'idunli~が同じくらい~と同等で# te=~(性質)に関して同等で
du'odjuno~によると~ということを知ってte=~について知って; ve=~を認識体系/エピステモロジーとして
fa'efatne~が逆で~と逆になって
faufasnu~という事と共に/~をして
fi'efinti~が創って~を創って/著してte=~(目的)のために創って/著して; # ve=~(素材)から創って/~をインスピレーションとして
ga'azgana~から観て/を観察者として~を観察してte=~を観察方法として; ve=~(条件)において観察して
gaugasnu~(動作者)によって/~がして~(行動)をして
ja'ejalge~を結果として/~となって~を要因/前触れ/先行事件として
ja'ijavni~を規則として~(事)が(規則で)要されて# te=~における規則/原理として
ji'ejimte~まで(限界)~を抑えて/~の限度/限界となって# te=~(性質)に関する限度として
ji'ojitro~の管轄下で~を制御して/~がコントロールされて# te=~(事/動作)における制御として
ji'ujicmu~を基盤として~を支えて/~の基盤となって
ka'aklama~が行って/来て~を目的地として/~行きでte=~を出発地として/~発で/~から来て; ve=~を経路/行路/筋道として; xe=~を移動手段として
ka'ikrati~が代表して~を代表して# te=~(役割)に関して代表して
kaickaji~が象徴して~を特質/特徴として
ki'ickini~と同系で# ~と同類で(ロジバン辞書より)# te=~を同類関係として
ki'ukrinu~を理由として~を(理由によって)起こして
koikorbi~を境界として~を境界内に/~の境界としてte=~への境界として/~が向こう側で
ku'ukulnu~(文化)のもと~の文化として
la'uklani~を量として~を測定値として# te=~(概念)を測定の尺度として
# klani の定義は「x1は、数値x2となる、x3(尺度・概念)について測定される量」。 x2 には数量詞 PA が入り、 「x1 = x2 × (x3を尺度とする単位) 」という関係が成り立つ。
例: lo vi plise cu klani li ki'o la .dozen. 「ここのリンゴの量はダースで言うところの千(つまり12000個ある)」
x1 と (x3を尺度とする単位) は次元が一致する量でなければならない。 x2 は無次元量の数 (li ...) である。 ni と klani の例
le'aklesi~をカテゴリーとして~のカテゴリーとしてte=~をカテゴリー特性として
li'elidne~が引率して/に先を越されて~を引率して/~の先となって# te=~を前後関係の順序として
ma'emarji~を物質として~を材質として/~でできてte=~を(物質の)形状として
ma'imanri~を(思考/行動/事件の)枠組として~の標準/照合枠として# te=~を標準/照合枠の原理として
mauzmadu~が勝って(に劣って)/が超えて(に超されて)~よりも多くて# te=~(性質)に関してより多くて; # ve=~(度量)の分多くて
me'amleca~のほうが少なくて(よりも多くて)~よりも少なくて# te=~(性質)に関してより少なくて; # ve=~(度量)の分少なくて
me'ecmene~という名の~の名前としてte=~が呼ぶ名として/~に名付けられて
mu'imukti~が動機となって~を(動機によって)起こして# te=~(者)を動機づけて
mu'umupli~を例として~の例となって# te=~(集合)における例として
ni'inibli~の論理で~が(論理によって)必然で# te=~を論理体系として
pa'apanra~が並行して/~が共に~に並行して/~と同じようにte=~(性質)を相異点として; ve=~(基準)で並行して
pa'upagbu~を部分/要素として~の部分として
pi'opilno~が使って/~を使用者として~を使って/用いて# te=~を用途として
po'iporsi~を並び方として/配列~を作って~を並び方/配列の原理として# te=~(要素)の配列として
pu'apluka~を楽しんで/~がおもしろくて~を楽しませて/~が楽しんで# te=~(条件)で(何かが)楽しくて
pu'epruce~を過程/プロセスとして~を入力としてte=~を出力として; ve=~を(過程/プロセスの)段階として
ra'asrana~が関連/関係して/関わって# ~に関連して
ra'ikrasi~を起源として# ~の起源として
raitraji~を最上として/~が最高の~(性質)において最上でte=~(極性/指向性)に関して最上で; ve=~(集合)の中で最上で
ri'arinka~を原因として/~によって~が(原因によって)起こって# te=~(条件)で起因して
ri'ilifri~が経験して/~を被験者として~を経験して
sausarcu~を必要として/~が必須で~にとって必須でte=~(条件)において必須で
si'usidju~が助けて/~が補助となって~を助けて/~の補助となって# te=~において助けて/補助して
ta'itadji~を方法/手段として/~式に~の方法/手段として# te=~(条件)における方法/方式/手段として
taitamsmi~みたいに/~風に~みたいに/~風にte=~を類似点として
ti'istidi~が示唆して/勧めて~を示唆して/勧めてte=~に示唆して/勧めて
ti'utcika~を時刻として~の時刻として# te=~(日)における時刻として; # ve=~(場所)の時刻として
tu'istuzi~を場所として~の場所として
va'ovanbi~を環境/状況として~の環境/状況として
va'uxamgu~(良い何か)を享受して~のために/~の利益として# te=~を価値基準/価値観として
zauzanru~に承認されて~を承認して
zu'ezukte~が行動して~を行為して/振舞ってte=~を目的/目標として

「tai」はルジヴォ「tamsmi」から来ているが、このルジヴォはタンル「tarmi simsa」からできていて、以下のような PS になっている。

 
       tamsmi: x1 は x2の形状/形態/形式/仕様で、 x3 に x4 の点で似ている

このルジヴォが使われているのは、「tarmi」の PS が、法制に使うには不便だからである。

jbovlaste のロジバン定義によると、 tamsmi の定義は Wed Mar 12 12:56:25 2003 以来
x1 simsa x2 le ka x3 tarmi ce'u
となっている。これは公式定義と異なるが、上記の表ではロジバン定義の方に従って tai, setai, tetai の定義を書き換えた。