翻訳担当者: [guskant]

—co'a pinka—

[guskant.2013-06-28: > pe lo vi'a miltre be li parenono fa'u li parenono

poi vi'a miltre li parenono fa'u li parenono ]

[重城]: 11:54 AM Jul 8 Selected text: xygylysy

上で僕の試訳を使うなら、 ji'u xygylytysy

もとのままにするならば、細かいことですが、support したのは「計画」ではなく「計画した共同体」なので、lo xygylyjysy cecmu とする必要があるかと。

[guskant]: ie 12:55 PM Jul 9

[guskant]: lo xygylysy cecmu だと「xygylysy個のcecmu」になってしまうので、 lo cecmu no'u xygylysy に変更 4:52 PM Jul 10

[guskant.2013-10-27: camxes で確認したところ、 lo xygylysy cecmu の xygylysy は数ではなく項となるので、心配なかった。逆に、これを数として扱うには vei BY (ve'o) という形にする必要がある。 lo vei xy broda で x個のbroda と言える。 mo'e の可能性も検討したが、 li mo'e BY (lo'o) は可能だが、 mo'e 構文は mo'e by や mo'e ko'a といったむき出しの operand のままだとエラーになることも確認した。 vei mo'e by (ve'o) や vei mo'e ko'a (ve'o) とすれば quantifier となり、数量として扱われる。]

[重城]: 「計画」と「共同体」は同一のものではないので、no'u ではなく ne のほうが良いのでは? 5:06 PM Jul 10

[guskant]: ie 5:36 PM Jul 10

[guskant]: 6:57 AM Jun 3 Selected text: .xelsink.

ji .xelsink.

[guskant]: 10:32 AM Jun 3 Selected text: merodava'e あらゆるレベルの

[重城]: これだと「全ての物」レベルというひとつのレベルになってしまう。 レベルには負は無いという暗黙の前提が必要になるが以下のようにすれば、一応表現できるか。

lo cnijbi fadni ke no va'e bi'i ro va'e nu zerle'a

11:08 AM Jul 8

[重城]: 代案:

「あらゆるレベルの」を「あらゆる性質の」と読み換えれば、

ro se ckaji とできるか。 さらに「レベル」に含まれる語感として「層状」であるという意味を込めれば、 ro senta se ckaji となるか。

タンルの一部にするために、 全体を lujbo 化して、rolsetselkai とできるかな。

lo cnijbi fadni ke rolsetselkai nu zerle'a

11:18 AM Jul 8

[guskant]: merozo'eva'eとは違う。daは束縛変項なので、rodaを使った命題は、議論領域内の可能な項を1つずつdaに代入して命題の真理値を検討していき、全ての項についてこの命題が当てはまるということを表す。 したがって、merodava'e によって「あらゆるレベル」を表現できている。

12:57 PM Jul 9

[重城]: なるほど、 ... me ro da va'e は、 ro da zo'e ... me da va'e に展開できるということですね。 納得です。

9:15 AM Jul 10

[guskant]: 10:30 AM Jun 3 Selected text: cnijbi

身近 cinmo jibni

[guskant]: 10:30 AM Jun 3 Selected text: sivypo'eci'e nu ponse

資本主義社会の所有 sivni ponse ciste nu ponse

[guskant]: 10:28 AM Jun 3 Selected text: banxa pracmu

銀行資本 banxa ke cupra jicmu

[guskant]: 10:28 AM Jun 3 Selected text: lo zu'o toltu'i 抵抗行為

zu'o to'e tugni 不賛成の行為

[重城]: tugni は「x3 が真である」ことへの同意なので、ここで tu'e tugni を使うと、銀行資本や資本主義社会の所有というものが存在することを否定していることになってしまう。 つまり現実逃避的な感じ。

もしも tugni を使うならば x3 を「銀行資本や資本主義社会の所有が正当である」としなくてはならない。

むしろ pante を使って、 lo zu'o pante lo nu banxa ... としたほうが良さそうだが。

11:34 AM Jul 7

[guskant]: ie

9:05 PM Jul 7

[重城]: 10:32 AM Jul 7 Selected text: fange

この場合の「他者」は lo fange でしっくりきますね。 自分達とは異質なものといった意味で。

たとえば「自分と他者」と言うときの他者は lo drata になると思います。

[重城]: 10:36 AM Jul 7 Selected text: jikca

「コミュニケーション」に lo nu jikca はしっくり来ますね。 僕のところもこっちで再検討してみます。 「誰かとコミュニケーションする」なら jikca zo'e で、 もっと相互的な「コミュニケーション」だとすると lo ka jikca simxu といったところでしょうか。

[重城]: 10:56 AM Jul 7 Selected text: ju'a

ju'a はニュートラルな evidential 。つまり「私が思う」でも「私は聞いた」でも「私は見た」でもなく「私はそう言っているだけ」だ。 もちろん ju'a に他の evidential を否定する意味もないから「根拠がない」という意味を積極的に表すこともない。 ju'a pei によって根拠を問うくらいしか用途はない。

上はやや誇張した言いかた。 .i mi klama と .i ju'a mi klama のあいだに意味の差はないが、ニュアンスの差はある。 後者は「とにかくそう言っているだけ」という点を強調しているため、言外に「ただ私が言っているだけで、本当に行ったかどうかは知らないよ」という気持ちがあるだろう。

CLL 13.11 For the most part, using "ju'a" is equivalent to using no evidential at all

[重城]: 訳案

「X は Y を表す」は「X は Y を意味する」にある程度近いので、意訳として、 lo nu ... cu tavla ... se smuni lo nu jikca lo fange ... とする、とか。

「X は Y を表す」-> 「表現 X は 意味 Y を表す」-> 「表現 X は 意味 Y を意味する」-> 「X は Y を意味する」 11:07 AM Jul 7

[guskant]: BPFK Sections:

ju'a (UI2)

Evidential. Used to express a non-specific/elliptical source of information or idea. See also xusra, the preface.

何らかの根拠はある 9:00 PM Jul 7

[重城]: 読みかえしてみたら腑に落ちました。 ここでの「X は Y を表す」は、X は Y であるということを私は言っている。 ととらえるのは自然ですね。 また、ここでの「表す」にこめられた、「実際にどうであるかはとくに言っていない」というニュアンスが ju'a で表すことができるので、適切なように思えてきました。 10:29 AM Jul 8

[guskant]: 10:26 AM Jun 3 Selected text: lo'e to'e jikca 「反社会的人物」

泥棒は、他人に与える影響が大きいという意味で、「to'e jikca 隠遁系?」というより、むしろ非常に社会的だから、泥棒について形容するなら xlajikca (xlali jikca) の方が適切。 しかし著者は「反社会的人物とのコミュニケーション jikca lo'e to'e jikca」という奇妙さを強調したいように見える。

[guskant]: to'e jikca を採用。著者に確認済 11:05 AM Jun 18

[重城: > [guskant]: lo'e to'e jikca no'u lo zerle'a

jikca は社会ではなく社交

反社会的人物

lo cecmu bradi コミュニティの敵

lo cecmu to'e tinbe コミュニティに服従しないもの

lo to'e tinbe be fi lo cecmu

tinbe [tib] gismu

x1 obeys/follows the command/rule x2 made by x3; (adjective:) x1 is obedient. See also minde, lacri, javni, flalu, zekri. ]

[重城]: 著者の意図がそこにあるのであれば、それでいい気もするが、jikca は social の「社会」よりも「社交」の意味を表していると思う。 むしろ、ここで言う「社会」は lo cecmu だと思う。 今回のようなコンテキストなしで「反社会的人物」を訳すなら、lo cecmu bradi とか lo cecmu to'e tinbe とか、より説明的に lo to'e tinbe be fi lo cecmu とか、か。

lo to'e jikca だと「社交の反対」で、僕の感じる語感からすると、「わざと失礼なことをする人物」みたいな感じがする。 あるいは、下の例から導かれるように、「誰かしらと絶交した人」なのでは。 この「誰かしら」を「ほとんどの人」として考えると「誰とでも絶交する人」となり上の僕の感じる語感が生じる。

la djan. jikca la djein. 「ジョンはジェーンと交際する」

la djan. na jikca la djein. 「ジョンはジェーンと交際しない」

la djan. to'e jikca la djein. 「ジョンはジェーンに交際の反対をする」

ジョンはジェーンと絶交したということになるだろうか。

日本語で普通に名詞として「社会」と言った場合、lo nu jikca ではなく lo cecmu であると思う。 10:23 AM Jul 7

[重城]: 試訳:

lo'e cecmu to'e tinbe no'u lo zerle'a 10:24 AM Jul 7

[guskant.2013-07-07: この文脈では社交の反対とするべき。 「誰とでも絶交する人」という意味に捉えても、この文脈では適切。 なぜならコミュニケーションの対象となれないものという意味での「反社会的人物」だから(著者に確認済) ]

[重城]: そうですね。 この文脈では to'e jikca が良いようですね。 以前に、自分で「社会」を jikca で訳そうとして感じた違和感を引きずっていたので、すこし変に感じてしまいました。 10:32 AM Jul 8

[guskant]: 7:36 PM Jun 3 Selected text: baxseljibri

baxseljibri:

x1 se jibri x2 poi ke'a banxa x3 boi x4

x1 = s1 は銀行 x2 = b1 = s2x3 = b2 (金融体系)・ x4 = b3 (銀行の機能)の銀行員

x1 = s1 is a bank clerk of a bank x2 = b1 = s2 owned by/in banking system x3 = b2 for banking function(s) x4 = b3 (event).

[guskant]: 10:22 AM Jun 3 Selected text: te gusni

「ライトプロジェクター=光源」とした。lujvoなら tergu'i プロジェクターの直訳なら mirtci (minra tutci) だが、これにはスクリーンも含まれそう。 また、すでに gau minra と言ってあるので、minraを含むlujvoを言う必要がない

[guskant]: 10:19 AM Jun 3 Selected text: doi romei .io be lo zerle'a 「泥棒のみなさま」

PAmeiのx2を集合にしない方針を採用

http://www.lojban.org/tiki/BPFK+Section

[guskant]: 11:00 AM Jun 3 Selected text: .xelsinkis.

ji xelsink

[guskant]: 7:02 AM Jun 3 Selected text: .lamd.

ji lamd

[重城]: 11:50 AM Jul 8 Selected text: residency

residency が訳出されてない?

「レジデント」という意味ならば、tadni あたりを使うか。

また、Helsinki International ... Programme は大文字であることと、HIAP はおそらく「計画」そのもとではなく「計画する共同体」なので、la を使うべきかと思う。 また jikca が何を訳出したのかわからなかったので、下の試訳では省いた。

.i finti sera'a lo nu tadni pe la .xelsinkis. gugykruca ke larcu tadni selpla pe lo gugdefu'i

[guskant]: " at Helsinki International Artist-in-residency Programme" の方で residency を jikca と訳したので、このjikca selpla との関係を sera'a で表し、 residency を2回使う冗長さを避けた。この冗長さは英語の表現力の無さから来るものだから、訳出する必要性を感じない。 HIAPを運営しているcecmuはあるはずだが、この作品はProgrammeの一環としての制作だから、loで意味上の問題はない。 一方、supported byの訳にはcecmuを追加する。

12:55 PM Jul 9

[重城]: 10:40 AM Jul 8 Selected text: かもしれない。

「かもしれない」が訳出されてない? la'a でいいのかな。

.i lo viska be le de'u sinxa la'a ka'e se xanri ... といった感じ。 Reply

[guskant]: 「かもしれない」を ka'e で訳出している。むしろ「できる」のほうをわざと無視した。この「できる」は心理的な可能性であり、「かもしれない」とほぼ同義。 12:53 PM Jul 9

[重城]: > [guskant]: jikca

「コミュニケーション」に lo nu jikca はしっくり来ますね。 僕のところもこっちで再検討してみます。 「誰かとコミュニケーションする」なら jikca zo'e で、 もっと相互的な「コミュニケーション」だとすると lo ka jikca simxu といったところでしょうか。

[重城]: > [guskant]: fange

この場合の「他者」は lo fange でしっくりきますね。 自分達とは異質なものといった意味で。

たとえば「自分と他者」と言うときの他者は lo drata になると思います。

[重城]: 11:13 AM Jul 7 Selected text: jibni

語感の違いかもしれませんが、「潜在する」だと「そばにいる」よりも「中にいる」といった感じがします。 mipri jibni よりも mipri nenri のほうが良さそう。 sumti が lo cecmu ではなく ma'a ならば mipri jibni だと思うのですが。

lo zerle'a cu mipri jibni ma'a

lo zerle'a cu mipri nenri lo cecmu

[guskant]: ie

nenriに変更 9:01 PM Jul 7

[重城]: > [guskant]: lo zu'o toltu'i fi lo du'u banxa pracmu gi'a sivypo'eci'e nunpo'e

tugniはx3が真であることへの同意

むしろpanteを使う

lo zu'o pante lo nu banxa pracmu...

[guskant]: ie

[guskant.2013-09-24: 校正]