翻訳担当者: [guskant]

—co'a pinka—

[guskant]: 10:43 AM Jun 3 Selected text: lo .zen. nu preti ja danfu

禅問答

[guskant]: 問答? nunreispu < nu preti spuda

nunkemreijavdanfu < nu ke preti ja danfu

2:02 PM Jun 3

[guskant]: 2:01 PM Jun 3 Selected text: zo'e sezreispu lo te ciste po'u vo'a

「自分の役割を自問自答する」=「システムの構成要素としての自分について自問自答する」 zo'e te preti je ve preti je spuda je se spuda fi'o te tavla lo te ciste po'u vo'a

[guskant]: 自問自答 sezreispu < sevzi preti spuda:

x1 te preti x2 zi'o zo'e poi ke'a sevzi x1 ku'o goi ko'a gi'e spuda ko'a zi'o

x1 = se2 = p3 = sp1 は題目x2 = p2について自問自答する

x1 = se2 = p3 = sp1 answers one's own question about subject x2 = p2

2:01 PM Jun 3 (edited 7:44 PM Jun 3)

[重城]: これだと、「システムの構成要素のうちの自分であるものについて問う」ことになってしまう。 より素直に、lo du'u vo'a zukte ma kau 「自分が何をするかを」か、lo du'u .ei vo'a zukte ma kau 「自分が何をすべきかを」 で良いのでは? 5:56 PM Jul 4

[重城]: ちなみに、sevzi は「自分」というよりは「自我」とか「自己」とかいう意味だと思うので、 sezreispu を自問自答の意味でとらえようとすると、もうひとりの自分と話し合っているというイメージがある。 むしろ xrureispu (もどる的に問い答える) のほうが自問自答の意味に近い気もするが、ここらへんはまだ僕のなかで保留中。

上の書きかただとわかりにくい気がしたので追加。 sezrei だと「自分に問う」よりも「自我について問う」といった感じで、アイデンティティ問題といった感じを受ける。 上で書いたのはもしも sezrei を「自分に問う」と解釈しようとしたら、そうなる、という話。

SE に属する cmavo で x1 と x2 が同じであることを示すたとえば se'ei のようなものがあり、それに rafsi があれば良いのですが。

se'ei broda = broda vo'a

また、これがあれば gismu の数を減らすか、または減らさないまでもその間の関係を明らかにできる。

muvdu 動く gau muvdu 動かす jai'ei gau muvdu = klama (jai'ei は jai gau が x1 と gau の中身を交換するのとパラレルで、x1 と gau の中身が同じことを示す、とする) 6:01 PM Jul 4 (edited 1:35 PM Jul 5)

[重城]: 試訳を載せておきます。

danfu lo vo'a preti be lo du'u .ei lo no'a cu zukte ma kau 9:46 AM Jul 5 (edited 9:51 AM Jul 5)

[guskant]: この原文の意味はまさに「システムの構成要素のうちの自分であるものについて問う」という意味であると捉えて訳した。 役割にはzukteという意味は必ずしも入らない。意思のないものにも、システムによって役割が与えられる。役割というものは事物をシステムとして捉える者によって、システム内で与えられる。 sevziの意味については漠然としていて、「自問自答」の一般的な訳として妥当かどうかわからないが、ここでは「もうひとりの自分と話し合っているというイメージ」を与えるものとして訳した。 9:13 PM Jul 7

[重城]: そうですね。 読み直してみたら腑に落ちました。 10:23 AM Jul 8

[guskant]: 10:41 AM Jun 3 Selected text: xlali danlu

害獣 xlali danlu: tanruでも良さそう。 lujvoにするなら

xlada'u:

x1 danlu x2 gi'e xlali x3 boi x4

x1 = d1d2 種の害獣、 x2 にとって、基準 x3 による

x1 = d1 is a bad animal/creature of species d2 for x2 by standard x3

[guskant]: 10:40 AM Jun 3 Selected text: lo gugypausle

lo jecta be lo gugde pagbu selci

自治体の「政府 lo jecta」という意味を追加してある。 gugypausle に jecta の意味が含まれるなら、jectaは不要

[guskant]: 不要と考え jecta be lo を消してみた 11:07 AM Jun 29

[guskant]: 6:35 AM Jun 3 Selected text: .i tu'e ce'o gi

.i の直後に ce'o gi ... gi があると、構文エラーになる

[guskant]:

.itu'e ce'o gi ... gi ... (tu'u)

あるいは

.ibo ce'o gi ... gi ...

あるいは

ni'o ce'o gi ... gi ...

とするとエラー回避。 6:41 AM Jun 3

[重城]: ce'o gi ... gi ... はいい表現ですよね。 日本語の「... し、... した」のような表現をよく表せてる気がします。 僕のところで ge ... gi ... で訳したところも本来ならばこっちを使いたい気もします。

上の現象は文法のバグと考えることができます。 今、パーサジェネレータを作っています。 pappy だと zoi の部分がうまく書けないことや、その他、ちょいちょい気に入らない部分があったので自作しました。 名前は pappy をもじって papillon としました。 90こうごきたい。

ところで、plain な .i と同じ意味の接続詞というものをどこかで読んだ気がするのですが、何だかわかりますか? 10:32 AM Jul 5

[guskant]: je'e

i. と同じ意味の接続詞はわかりません。 9:09 PM Jul 7

[重城]: ju'e でした。 nalteo さんが使ってました。 ki'e 9:57 AM Jul 8

[guskant]: 7:01 AM Jun 3 Selected text: .kamfor.

ji kamforas ji kus

http://en.wikipedia.org/wiki/Cinnamomumcamphora

[guskant]: 7:40 PM Jun 3 Selected text: muzyku'a ギャラリー

muzyku'a:

x1 kumfa .ije x2 se muzga bu'u x1

x1 = k1x2 = m2 を展示するギャラリー/展示室

x1 = k1 is a gallery of museum/exibition hall for exhibiting x2 = m2

[重城]: 5:34 PM Jul 4 Selected text: nu

同上: nei が zu'o ... を指すのであれば、nu は不要かと

[guskant]: ie 9:12 PM Jul 7

[guskant.2013-07-11: lo nei をlo no'a に変更。

( tugni la tsani la'e di'e: "That being said, I say that nei used in a sei-clause refers to the bridi of the sei-clause. This is consistent with (almost) every other use of nei. To refer to the bridi outside the sei-clause no'a is required."

https://groups.google.com/d/msg/lojban/1jw3fYM6JNI/1jtUHcajzkYJ

)]

[重城]: 5:17 PM Jul 4 Selected text: nu

上と同じくこの nu は不要に思える。 go'i = zu'o ... なので、 go'i の x1 は行為となる。 その行為によって問うわけだと思う。

[guskant]: ie 9:11 PM Jul 7

[重城]: 5:16 PM Jul 4 Selected text: nu

この nu はいらないと思う。 nei は zu'o ... の全体を指すと思うのですが、そうすると、lo nei で「... という行為」を表せる。lo nu nei とすると「何かが ... という行為であるということ」となり文全体の意味は「何かが ... という行為であるということが理解の反対である」ということになってしまうが、理解の反対であるのは行為そのものであると思われる。

[guskant]: ie 9:11 PM Jul 7

[重城]: 5:20 PM Jul 4 Selected text: nu

この nu は du'u のほうが良いように思える。 nu は出来事だけど、「何が必要であるか」は命題なので。

[guskant]: pretiのx2は質問の主題: nu 9:11 PM Jul 7

[重城]: 質問の主題が事実であれば nu だけど、ここでは命題なので du'u が適当なのでは? つまり、「昨日学校に行ったこと」についてたずねるならば nu だけど、「昨日学校に行ったかどうか」についてたずねるならば du'u だと思う。

ちなみにここで「事実」と「命題」というときの「事実」は必ずしも実現しているということを示さない。 また「命題」という言葉も真偽のみを持つものよりも広い意味で使っている。

感覚としては事実のほうがより深く、命題のほうがより表面的、という感じ。

たとえば lo du'u を troci することはできない。lo nu 「について」尋ねることはできるが lo nu を尋ねることはできない。

lo nu 「について」考えることはできるが lo nu 「である」と考えることはできない。

lo nu は「状態・動作」であり lo du'u で表される「命題」とは区別される。

ma kau を含むということは、その内容は、それについて考えられたり、主張されたり、否定されたりするものであり、troci されたり、gasnu されたり、zukte されたり rinju (x3) されたりするものではなくなる。

ma kau を含む文は本質的に命題になると思うのですが、いかがでしょうか。 10:14 AM Jul 8

[guskant]: kau を含むnuを質問の主題とすることは可能。makauは質問の答となるものを指す。

preti lo nu lo danlu ku nitcu ko'a

と同じで、「動物がそれを必要とする」という事象についての質問。 そして、この文での質問の主題は「必要とする」という事象であると見なして問題はない。 ただ、「件の訳文は 「必要性とは何なのかと問う」 という表現の意味を表せていないので違和感がある」ということに気付いた。 質問の主題を命題と見なしても、この違和感は消せない。 なぜなら「必要性とは何なのか」という命題は質問自体を表していて、質問の主題ではないから。 そこで、これをsedu'uで受けてpretiのx1とする。

lo go'i cu jai ta'i preti fai lo sedu'u lo danlu noi ke'a ma'a po'u loi remna na'e ka'e jikca ku'o nitcu makau pe ma'a

と変更。 1:03 PM Jul 9

[guskant.2013-09-24: 校正]